郷土に息づく"いのち"の伝承

木古内の坊物語

この物語は、
中村純三氏が著された「木古内の坊物語」より転載したものである




 「木古内の坊」とはいろんな言い伝えがあり、
古くから住んでいる年配の方は、
あぁ大層な親孝行で目の不自由な「付け木」売りの男か、ということだけは知られておるようです。
 これは明治の初期、木古内でも浜は、ニシンの大漁で非常ににぎわった頃のことでした。
木古内の坊と人々から親しまれ盲目に近い不自由な目をして、
六尺近い体に“付け木”を背おい町内は勿論、江差、松前、函館と売り歩き、
やはり目の不自由な父親と弟の生活を支えながら、
生活苦と目の不自由さにもくじけないで孝養の限りをつくした坊の生涯の物語で、
今でもその報いで大阪の鴻の池(当時の)の千万長者の家に生まれ変わったという伝説があります。

木古内の坊は実在の人物ですが、今では伝説上の人になっている感があります。
現在に生きる私達が忘れ去ろうとしている純真な人間性、親孝行、正直、勤勉などを「木古内の坊」に見出し、
因果応報を信じて末永く町民間に染み込ませ後世に語り継ぎたいと思います。


 年号が「明治」と改まって間もないころの木古内村は、
戸数こそ三百そこそこのうらさみしい漁村に過ぎなかったが、
ニシンの大漁が続いて浜はとてもにぎわっていた。
浜には大きな番屋が建ち
並び近郷近在や遠く南部(下北半島)から雪を踏んで出稼ぎに来ている漁夫の出入りもはげしかった。
それらのヤン衆(漁夫)を目当て、これも函館あたりから流れて来た女たちが、
川尻に散在するいかがわしい小料理屋にたむろして
しきりに嬌声を振りまいていたのであった。
 そうした、町のにぎわいとは裏腹に、
同じ川尻に近い喜楽町(きらくまち)のあたりにはみすぼらしい家も少なくはなかった。


 ニシン漁にわき返っている浜の番屋へ、風のように現れて、飯炊き女から釜底のコゲ飯をもらい歩く、
友吉という大柄な子供の家も喜楽町のはずれにあった。
 友吉少年は父親は若いころにソコヒで失明したため、
母親が拾い出面や賃仕事などでようやく生計を立てていたのだが、
その母親も長い貧乏暮らしに疲れ果てたのか、ふとした風邪がもとで寝ついたきり、
医者に診てもらうこともかなわずに二年前に死んでしまった。
 それでも別家(分家)のおかみさんがよく出来た人だったので、
自分たちの暮らしも思うにまかせないのにアワやヒエを続けてくれたし、
素朴で人情の厚い村の人たちは、競うように食べ物や、着古しの着物などを届けてくれるので、
なんとか親子三人は飢えをしのぐことが出来た。
けれども食べ盛りの年ごろの子供二人はいつも腹をすかせていたし、
その子供に食べさせようと、父親は一日に一度より食べない日が多かった。


 友吉は、もう働ける年ごろだったが、可愛想なことに、父親の血を引いたためか、
赤ン坊のころから目が悪く、成長するにつれて次第に視力が薄れて行った。
 どうやら歩くことはできるのだが、とても働くどころではなかった。
だが、体だけはずば抜けて大きく、まだ十五歳というのに、もう六尺近い背丈だったから友吉を見るたびに、
人々は「いい体してるのに・・・本当にいだわし(惜しい)若いもんだなぁ」というのでした。
友吉は幼いころ天然痘を患ったため、顔はボロボロのアバタ面だったが目もとがとても優しかった。
いたずら好きの弟がケンカを仕かけても決してさからわなかったし、親に口ごたえしたこともなかった。
 人から物をもらうと、必ず「おおきね(おおきに有難う)」と頭を垂れ、ニッコリ笑うのであった。


 友吉は春が待ち遠しかった。
軒下まで積もった雪が、やがてお天道様の温かみで少しずつ融け出して行くと
いままでコトリとも音のしなかった浜の番屋が開かれ、
漁夫がツマゴ(ワラで作った長靴)をふみならしながらやって来た。
 そして威勢のよいソーラン節が聞かれ、浜は急に活気づく。
雪が残っているのに網倉が開かれ土俵が詰められて、建て網の準備が急がれるのだった。
 友吉は、いや盲目の父親も弟の留松も、
春を待ったというよりは漁場が開かれるのをひたすらに待ち続けているのだった。
 友吉は番屋が開かれるのを待って、早速に顔を出した。
 毎年、南部からやってきている顔馴染みの船頭がいて声をかけてくれた。
「おう、達者でいたな。よく来た。おめえ名前なんていったっけな」
「友吉。川又友吉だ。」
「ン、そうそう、友吉だったな。飯炊きの婆さまから焦げ飯をもらって行けよ、ずっぱり(沢山)な。
俺の家にもお前と年格好似た子供がいるんだ。おめえは目が不自由だから不びんでならねえ」
「どうもおおきね(大気にありがとう)」
 ペコンと頭を下げて炊事場へ行くと、これも南部からやって来たという婆さんがいて、焦げ飯を渋紙に包んでくれた。
ふかぶかと頭を下げた友吉が、その場で食べようとせず、さっさと帰りかけたので、
「お前、腹が空いているんだろう。食べ盛りだものな遠慮しないでここで食べて行けや。」
 すると、友吉ははにかんだように笑って、
「おど(父)が待ってるんだ。おどは焦げ飯が大好きだ。留松も(弟)も・・・・・」と、いって、さっさと帰って行った。


 津軽や南部では盲のことを「ザトウのボウ」とよんだ。座頭の坊のことである。
この方言が道南にも伝わって、田舎へ行くと、いまでも盲人を「ジャド」と呼ぶところがある。
 友吉少年、いつの間にか「ザドの坊」とよばれるようになったが
そのうちに「ザド」が取れて「坊」だけでよばれるようになった。
 中には邪険に追い払うところもあったし、
大漁に沸き返っているときには坊に構ってくれないところもあったが、
とにかく、よく面倒を見てくれたのである。
 だから、ニシン漁場が開かれている間は親子三人ひもじい思いをせずにすんだ。
 坊は、いつ、どこで、なにをもらっても、決してその場では食べなかった。
ボロボロのドンジャ(刺し子)の内ぶところにしっかりとしまい込んでしまう。
 焦げ飯のほかに、なにか珍しい菓子や果物をもらっても、必ずふところにしまって家へ急ぎ足で帰った。


 ニシン漁期が終われば浜は急に活気を失ったが、それでも夏場は漁が続くので坊には楽しかった。
 やがて秋風が吹き、霜が降りるようになると、坊は急に悲しくなるのである。
 漁場という漁場が一せいに閉ざされ、浜も冬ごもりに入るからであった。
 坊は空き腹を抱えて、いつまでも浜に立ちつくさなければならなかった。
 やがて、力なく歩き出した坊の後から、村の悪童たちがぞろぞろついて歩き、
“シズ家のコンビ カラスにダンゴ・・・・・”と、節をつけ、声を合わせてはやし立てる。
坊は一たん立ちどまったが、そのまま歩き出した。
 この戯れ唄がどういう意味なのかだれも判らない。
 「シズ家」というのは「シズの家」というのかあるいは「賤が家(貧しい家)」ということなのだろうか。
コンビはコビ、つまり焦げ飯のことに違いないから、
坊が方々の番屋や家から物を貰って歩くことを「コンビ」といってはさげすんでいるのだろう。
「カラスにダンゴ”というのも「墓場のダンゴをくわえるカラス」のことで、
卑しい人間と、馬鹿にしているのに違いなかった。
いつどこのだれが作ったのか、いつの間に節づけされたのか、
とにかく子供たちは坊の姿を見ると遠くから”シズ家のコンビ カラスにダンゴ”とはやし立てた。
 それでも坊が一向に怒らないのでしまいにはそばへ寄って来て、
坊の体を小突きながらはやし立てるのであった。
 坊が町を歩いていると、呼びとめて食べ物や五厘銭をくれる人もあった。
 だから、腹が減ってくると、坊は物乞いして歩くようになってしまった。
はじめは木古内だけ歩いていたが、次第に足を伸ばして札苅や知内にも出かけた。
 目は不自由だったが、少しは見えるし、体が並みはずれて大きかったから、足は早かった。


次第に旅なれた坊は茂辺地の険しい峠を越え、矢不来の山道を越えて上磯までも足を伸ばした。
 坊と同じに目の不自由な人間が村々に一人や二人は必ずいて、こころよく泊めてくれた。 
上磯の川原町に住む盲人の家に泊めてもらった坊が厚く礼を述べてツマゴ(ワラ靴)をはいていると、
又蔵というその盲人がいった
「坊よ、木古内や上磯はまだまだ田舎だ。ここから歩いて四里(十六キロ)ばかり、
こ回し船で行けば一時間足らずのところに函館がある。
あそこは人間の数も多いし、金持ちの旦那衆もたんといるしけ、もらいが多いはずだ。
お前さんさえよければ隣の南木さんの大将に頼んでやるしけ、
こ回し船さ乗せてもらって函館さ出てみたらどうだね。」
 又蔵のすすめと、口ききで
南木商店のこ回し船(材木や砂利などを積む帆前船)に乗せてもらった坊は、
生まれてはじめて函館という町の土を踏んだ。
 函館の町のことはよく耳にしていたが、こんなに賑やかなところとは・・・・・。
坊は仲浜町の岸壁に立ってびっくりしてしまった。
友吉はおっかなびっくりで浜伝いに町へ出たが、
函館という町は村で聞いていたよりもずっとにぎやかで、
往き来する荷馬車、大八車、それにダンつけ馬(荷を積んだ道産馬)のほか、
浜で働く人たちが忙しそうに肩を触れ合いながら小走りで歩いている。
友吉はそうした人たちに何回となく突き当たった。
 道具箱をかついだ職人らしい男に突き当たったとき
「まごまごするな、どめくらめッ」と、いきなり怒鳴りつけられたが、
それでも人の好い男らしく 「おめえ見たことねえやつだが、どこから来た!?」
友吉はへどもどして 「木古内だ。俺ア木古内の坊だ」
「ふーん、木古内の者か。どうも聞かねえ名前だと思った。
聞こえないではシャレにもならねえ。それでなにかい。おめえ一体どこへいくつもりだ。」
「どこッて、俺ア函館がはじめてだ・・・・・」
「そうか。それにしてもひどいなり(服装)してやがるな。
第一目が見えねえんだろう。この辺をまごついてたら馬車にひき殺されちまうぜ。」
「はい、すみません」
「なにも俺にあやまることァねえよ。それで、おめえは物乞いに来たのか。」
「!?」
「つまりホイド(乞食)のことだよ。」
 友吉は悲しそうに見える目をしばたたいて小さくうなずいた。
 職人風の男は腹掛をさぐって五厘銭を二枚取り出し
「これをやるからキンツバ(お焼き)でも食いな。
そしてな、この辺は人通りがはげしくていけねえから山の手へ行くんだ。
こっちの方向だよ・・・・・」と、親切に手を引いてくれた。
口は悪いが根は親切な人なのである。
「おめえ、年ァなんぼだ」
「十九」
「親はいるのか」
「うん」
「そんなら物乞いすることもいるめえ」
「ううん、オド(父)も目が見えねえ」
「おッ母アは!?」
「死んだ」
「そうか不幸なやつだなあ。だがよ、
人様の軒下に立って物乞いすることはお上から止められているんだ。
邏卒(巡査)に見つからねえように歩けよ。
そうはいってもお前は目がよく見えないんだから向こうさまに見つかるまで判りっこねえやな、アハハハ。
よし、ここまで 来れば大丈夫、さ、この坂を登って行くんだぞ。」
「どうも、どうも、おおきねどうも。」と、何回も頭を下げている友吉にその男はいった。
「もし、もらいが少なくて泊まるところもなかったら俺の家へ来な。
カベ穴の突き当たりの大工の藤吉と聞けば、じきに判る。」
「カベ穴の大工の藤吉さんですか。」
「そうだ。忘れるなよ。」
「はい、おおきに・・・・・」


 友吉は、坂の上の通りへ出て、一軒ずつ軒下に立った。
「出ませんよ」と、剣つくを食わせる家もあったが、
盲目の、このみすぼらしい乞食に大がいの家ではなにかを恵んでくれた。
 友吉が、いままで見たこともないうまそうなお菓子をくれるところもあった。
「まあ可愛想に・・・・・」と、身の上を聞いて、大枚二銭銅貨を与えた家もあった。
 日暮れまでに仲浜町の岸壁へ行って、上磯の南木商店の帰り船に乗せてもらう約束だった。
 思ったよりもらいも多かったので、
一日も早く帰って家で待っているオドや留松を喜ばせようと、坂を降りかけたとき
、うしろから急ぎ足で追いついて来た男が友吉を大きな声で呼び止めた。
「こらこら、ちょっと待てお前だな。この辺で物乞いして歩いたのは・・・・・」
振り向くと、こわい顔の邏卒が立っていた。
 木古内でもときどき見かける邏卒服で、黒いズボンに縫い込まれた
縞の赤い線が友吉の薄い目にも見えた。
「なあんだ盲か。困ったやつだな。とにかく屯所まで来てもらおう。」
さっき、大工の藤吉から注意されたことが、早くも現実となってしまったのである。
 坂を降りてすぐのところに邏卒の屯所があった。
「ま、入れ、そこへ腰をおろすんだ」
 木の椅子におじおじと腰を掛けた友吉をまじまじとながめながら
「名前は」
「友吉、川又友吉」
「年は」
「十九」
「家はどこだ」
「木古内」
「なに、木古内だって」
邏卒はおどろいたように身を乗り出した。
「目が見えないのに、よく函館まで来たもんだなあ。わしはお前の隣村の泉沢の生まれだよ」と、
急にことば使いもやさしくなり、いたわる調子で友吉の身の上を聞きはじめた。
 邏卒は、とつとつと語る友吉の話しを聞きながら、渋茶をくんでくれた。
「お前、腹は減っていないか。俺の弁当が残っているんだ。どうだ食べないか。遠慮はいらんぞ」と、
わざわざ竹編みの弁当箱を開いてくれるのだった。
屯所の窓へ吹きつける晩秋の風邪は冷たく、やがて小雪がちらついて来た。
 友吉は、松田というその邏卒のすすめてくれる弁当を開き、なん回も頭を下げながら箸を口に運んだ。
 正月でも口にすることのできないおいしい煮豆をひとつ食べた友吉はおじおじと顔を上げて
「旦那さん。この豆コ貰ってもいいべか・・・」
「?貰うって・・・」「こんなうめえもの、生まれてはじめてだ。
家さ持って帰って、オドにも食わせてやりてえ・・・」
「ほう。感心なことをいう。いいとも、お前の好きなようにしなさい」
友吉は煮豆を紙に包んで内ぶところの奥へしっかりとしまい込んだ。
 友吉の身の上話しは時間がかかった。
精神薄弱というほどではなかったが、並みの青年よりは頭の働きが鈍いし、少しどもりだったからである。
 話し終わったときには、もう陽がとっぷり暮れていた。
「よくわかった。しかしな、坊よ。人様の家の前に立って物乞いするのはお上からゆるされていないんだ。
かといってお前達の一家は気の毒な身の上だしなあ・・・・・」 と、松田邏卒はしきりに考え込んでいたが、
ややあって「そうだ。いいことがある。なにか物を売って歩けばいいんだ。
物乞いみたいなものだが、商売をして歩くということにすれば問題はないからな。ところで、何を売るかだが・・・・・」
「俺にそんなこと出来るべか・・・」「なあに、売れても売れなくてもいいんだ。
人様の家に入って行く方便だよ。お前のそのなり(服装)を見たら大がいの人はゼニを恵んでくれるだろう。
売れても売れなくてもいいとなると・・・そうだ。付け木がいい、付け木を持って歩くんだ」
「付け木かね。あの木のマサの・・・・・」
「そうだ。あの付け木ならどこの家でも使うものだし、
いつまでも置いても腐りもしなければこわれもしないものだから買ってくれるに違いない。あれに限る」


マッチが出現するまでは付け木の時代だった。
一センチ巾に長さ十センチくらいの薄い木(マサ)の先に硫黄が塗られていて、火を起こすのに使われた。
昭和の初年ころまで田舎にはまだあった。
 やがて、マッチが登場したときにはこのマッチを「早付け木」とよんで重宝するようになり
、いまでは付け木など見ることさえできなくなってしまった。


「坊、お前の村に「ヤマチ」今泉という荒物屋が有るんだが、知っているか。」
「うん、俺の家の近くだ」
「それは好都合だ。俺はあそこの父さんといとこだから手紙を書いてやろう。
お前に付け木を分けてくれるようにな。
ゼニは売れたら払えばいいさ」
「・・・俺らに売れるべかなあ」
「大丈夫だ。ご免下さいと入って行って、
だれか出て来たら“付け木買って下さい”というだけでいいんだ」
「買ってくれるべか」
「買う家もあるし。買わない家もあるだろう。とにかく根気よく歩くことだ。必ず商売になる。
付け木は一把ずつにしてもらって五厘で売るんだ。二把で一銭だ。勘定はわかるな」
「うん、そのくらいだばわかる」
「ヤマチに頼んでやるから、この手紙を持って行けばいい・・・」
「どうもおおきね」
友吉は邏卒の親切が身にしみてなん回となく頭を下げた。


「ところで、陽が暮れちまったがお前、きょうはもう戻り船はあるまい。
大町まで下ると、木賃宿があるからそこへ泊まって、明日の朝早く上磯へ戻れ。
そして急いで木古内へ帰って、付け木売りをやるんだぞ」
 と、いいながら松田邏卒はガマ口を取り出し、一銭玉を二つ机の上にころがし
「この金で宿に泊まって行け」
友吉はびっくりして「旦那さん、ゼンコだばいらね。持ってるしけ・・・。泊めてくれるところもあるし」
「とめてくれるところ?知り合いでもあるのか」「昼間に、俺らば面倒見てくれたんだンす。カベ穴の大工さんで・・・」
「おお、そうだ、藤吉の家か。せっかくいってくれるんだから泊まって行くか。
よしよし、あの男なら俺もよく知っているから連れていってやろう。すぐこの先だ。
あいつは江戸ッ子で本当に親切なやつだからなあ」
 邏卒に伴われて訪ねた大工の藤吉の家は、カベ穴の突きあたりにあった。
 出て来た藤吉は顔なじみの松田邏卒と、
昼に別れたばかりの木古内の坊の取り合わせにけげんな顔をしながら招じ入れた。
 松田邏卒から事情を聞いた藤吉はドンと胸をたたいて、
「よくわかりました。一晩といわず何日でもお泊め申します。」
「俺と同郷なので、なんとなく不びんさがましてな。
付け木売りにこれからも函館へはたびたびやって来るだろうが、出来るだけ面倒を頼むよ。」
「よろしゅうございます。そういっちゃなんだが、
この藤吉さんは頭こそ少々弱いが、人間はまことに正直者だ。
あッしも江戸ッ子の端くれ、弱い者の味方でござんすからねアハハハ・・・・・」


藤吉は生ッ粋の江戸ッ子だった。
ご維新の前に親分の野村熊吉(のちに柳川姓となる)が、
大親分新門辰五郎のもとを去ってえぞ地へ渡ったとき、
後を慕って函館へやって来て、五稜郭築城に働いたのであった。
 明治四年に一家は解散し江戸へ帰る者は帰り、奥地の開拓に出かける者は出かけたが、
藤吉は若いころからの手職を活かし、親分の住む函館に居を定めたのであった。
 藤吉は四十を出たばかりの働き盛りで、腕のいい棟梁として知られていたが、
気ッぷがよく、人の面倒をよく見るので家の中はいつもピイピイだった。
女房のミツがまたよく出来た女で、
男二人、女一人の子供のほか四人の内弟子を抱えながら愚痴一つこぼさずに家の中を切り盛りしていた。


藤吉の家に一晩やっ介になった友吉は、翌朝、握り飯まで作ってもらった。
 気のいい藤吉夫婦はこもごも「友吉さん、函館へ来たらどこへも寄らず必ず家へ来て泊まるんだよ。
遠慮はいらないから・・・・・。きっとだよ。」と、何回もいってくれた。
 友吉は有難涙にかきくれてただただ頭を下げるばかりだった。
 浜へ出てみると、幸い上磯から砂利を積んで来たこ回し船がついていて、戻り船に乗せてくれた。
 上磯の川原町に船が着くと同じ南木商店のこ回し船が入れ違いに薪を積むため札苅の幸連の浜へ行くという。
南木の主人の好意で友吉はその船に乗せてもらい、その夕方に木古内の家へたどり着くことが出来た。


坊の帰りを待ちかねていた父親と留松は大喜びで、坊が持ち帰ったみやげに舌ずつみを打った。
 坊はその足でヤマチの荒物屋へ行き、ふところから松田邏卒の手紙を取り出して主人に渡した。
 読み終わった主人の今泉伝之亟は「坊、よくわかった。
一連(ひとずら)五厘で売るにいいようにしてこしらえて置くから明日の晩方取りに来い。
ゼニは売れてからでいいからな。一生けん命稼ぐんだぞ。
稼ぐに追いつく貧乏なし。付け木売りでも立派なあきないだ。これからは人様に物乞いしなくてもいいな。
これもみんな松田さんのお陰だ。この恩を忘れるなよ。」
「はい、おおきね」
 友吉は目の前が明るくなった気持ちでそそくさと家に帰り、父親にこの話をした。
「よかった、よかった。付け木だばどこの家でも使うものだ。
番屋(漁場)をまわるだけでもかなり売れるべ。
ところで、その松田さんという邏卒様だどもや、泉沢の松田といえばたしか聞いたことあるど。
泉沢の禅寺の一きまき(親族)のはずだ・・・。」


父親のいう通り、大泉寺という禅寺の住職のいとこに当たる人物だった。
若いころ開拓使に雇われ、のち邏卒に任用されて函館に勤めていたのである。
 この人に出会わなければ友吉は乞食暮らしから浮かび上がれなかったかも知れず、
木古内の坊の一生はこの松田邏卒によって変えられたといっていい。
 また、松田邏卒からの添書で、付け木を売ってくれた今泉伝之亟は旧庄内藩の出で、
武家の商法ながら荒物屋と下駄材の販売で成功した人物だった。
なかなかの剛直で慈悲深く、その子供の義太郎と共に、
陰になり日向になって友吉の面倒を見てくれたのであった。


友吉はイワシかごに、付け木の束をぎっしり詰め、左右の手にも下げて付け木売りをはじめた。
 冬が間近に迫っていたので漁場は閉ざされていたが、大がいの家で快く付け木を買ってくれた。
「いいことをはじめたなあ、一生けん命やれよ」と励まして、五厘の束を一銭で買ってくれる人も多かった。
 しかし、食べ物と違って付け木は一度買うとそうすぐにはなくならないので
飛ぶように売れるというわけにはいかなかった。
 そこで、友吉は遠くまで歩かなければならなかった。
 ボロボロのドンジャ(刺し子)に荒縄でイワシかごを背負い、
雪道をのっしのっしと歩く姿は仁王様のようであった。
 坊が村へ帰って来ると、悪童連がいち早く見つけて“シズ家のコンビ  カラスに団子”とはやし立てた。
 子供たちにはやされても坊はニコリともせず、子供たちを無視してのそりのそりと歩き続けた。
 そして、家へ帰ると背中のイワシかごをおろすより早く、
ふところをまさぐって、食べずに持ち帰ったごちそうを父親に食べさせるのであった。
「おうおう、こったらにうめえごちそう、始めてだ。うめえなあ。」と、いう父親の言葉を聞くと、
友吉はその日の疲れが一ぺんにけし飛び、思わず口のあたりに微笑がわくのであった。


坊は次第に足を伸ばした。
札苅の幸連の浜から薪を積んで上磯や函館へ行く船に乗せてもらったりして、たびたび函館へ出たが、
そのたびに東浜町の屯所に松田邏卒を訪ねるのを忘れなかった。
そして、カベ穴の藤吉のところへも泊めてもらったが、
坊は無神経のように見えていて実際は遠慮深い男だったので大がいは浜通りにある木賃宿に泊まった。
 函館の町は活気に満ちていたので付け木はよく売れた。
わけても築島のあった界隈(豊川町)ではたった一連買っただけで十銭玉をはずむところもあった。
「坊、来たか。親父は達者か。親父に持って行って食べさせな」と、
いって赤飯やボタモチを包んでくれるところもあった。
 坊は愛想笑い一つするでなし、ただ「おおきね、どうも」と頭を下げるだけであったが
どこへ行っても不思議に可愛がられた。
 木古内の坊が無類の孝行者で、珍しい食べ物やおいしい物をもらっても自分では決して食べず、
家に持ち帰って父親に食べさせることがいつの間にか知れ渡っていたからである。


木古内の漁場でも争って付け木を買ってくれた。
坊が現れるのを待って焦げ飯を持たせてくれるところも多かった。
 お陰で親子三人は飢えを免れ、坊も付け木売りに張り合いが出て来た。
始めのうちは木古内から浜伝いに札苅、泉沢、釜谷、当別、茂辺地、
そして矢不来の天満宮の横を越えて上磯の富川へ降り、
三ッ家(谷好)、戸切地、有川、浜久根別を通って追分へ出、
七重浜から万年橋(吉川町)伝いに函館へ出たり、札苅から船で、
あるいは上磯の川原町からこ回し船で函館へ出たりしていたが、
やがて木古内から知内、福島、松前へ出、
長い長い浜道をたどって江差へ付け木を売りに出るようになった。
 付け木をおろしてくれるヤマチ今泉伝之亟の添書をもらって行き
江差でも付け木を仕入れることができるようになったので、
こんどはさらに足を伸ばし、乙部、熊石、久遠から山道を歩いて今金、瀬棚にも出た。


そのころの瀬棚は材木の集散地で、しかもニシン場としても栄えていたので町には活気があふれていた。
 浜通りには料理屋、遊廓がずらりと立ち並んでいて首まで真っ白に塗った妓たちが通行人に嬌声を浴びせていた。
 三月末のある日、ニシン景気でごッた返している瀬棚の町へ現れた坊が、
ひと通り番屋を回って軽くなったカゴを背負いながら浜通りのにぎやかな通りを急ぎ足でやって来ると、
場末の一軒の小料理屋から、まだ若い女が悲鳴をあげながら飛び出して、坊にどんと体ごと突き当たった。
 そのうしろから一見して漁夫と知れる体の大きい男がかけ寄りざま女の手をつかんで引き戻そうとした。
女は血の気を失った顔で「たすけてぇ」と叫んで坊の体にひしとしがみついた。
 生まれてこの方、二十三才になる今日まで女にしがみつかれたのは始めてなので、
坊は一瞬ポカンとしたが、
女は男の手をのがれてなおも坊の背中にしがみついたので仕方なしに女をかばう形になった。
 いきり立った相手の男は、「やい、このホイド(乞食)てめえトシばかばう気か」
「・・・いや、俺ァなにも・・・」
「やかましい」と、いうより早く、乱暴にも坊のほおを力まかせになぐりつけた。
目から火が出るほどの痛みをおぼえたが坊は抵抗せずに、黙ってそのまま突ッ立っていた。
「こん畜生てめぇ、俺の相手になるッちのか」
 したたかにくらい酔っている男は坊のボロボロのドンジャの胸倉を取り、ねじり倒そうとしたが、
六尺近い巨体の坊の巌のような体はぐらりともしない。
 野次馬がワイワイ集まって来て遠巻にながめている。
中には坊を知っている者もいるので「可愛そうに、坊の奴早く逃げればいいのに」と、
ささやきかわしてはいるが、だれも進んで坊と女を助けようという者はいなかった。 
 男は、坊をねじり倒そうとしても動かないので、また、ほおを殴り、二、三回けッ飛ばした。
 坊の顔に、ようやく血が上がった。
カッと目を見開いた坊は、両の手で相手の首根ッこをしっかり押さえつけると、
そのままずるずるッと店へ押し戻し、必死に暴れる男を軒下に押しつけて置いて、
ゴシンゴシンと角柱に相手の頭をぶッつけた。
 この意外な強襲に男はたちまちひざから崩れ落ち、完全に伸びてしまった。
 木古内の坊の、この怪力には野次馬もただ、ぼう然とするばかりだった。
 坊は手のホコリを払うと、なにごともなかったようにのっしのっしと歩み去った。
 トシと呼ばれたその女はポカンとしていたが、やがて、あわてて坊の後を追いかけて行った。
 木賃宿へ曲がる小路の入り口でやっと追いついた女は、坊の前に回って、
「おかげさんで助かりました。本当に助かりました。」と、何回も頭を下げた。
 坊は無言でうなずき、女を押しのけるようにして歩き出したが、女はなおも後からついて来て、
「あのう、せめて名前だけでもおしえてください。私はさっきのダルマ屋という店に働いているトシというものです。
どうかあんたさんの名前をおしえてください。」
 足を止めて振り返った坊は、
「俺ァ見る通りの付け木売りだ。名乗るようなものでねえ。
世間の皆さんは俺ば木古内の坊と呼んでいるてば・・・」
「木古内の坊−さんですか。どうもありがとうございました。
このご恩は一生忘れません。後でお礼に伺わせてもらいます。」
「そったら心配ァいらねえ。」と、坊は女を振り切るように、さっさと宿へ入ってしまった。


その晩、坊が晩ご飯の膳といっても、
みそ汁にニシンの焼いたのがのっかているだけの膳で飯を食べているところへ、
トシがダルマ屋のおかみといっしょにやって来た。
あわてて座り直した木古内の坊の前に、二人は両手を突いてくり返しくり返しさっきの礼を述べた。
 坊は生まれてこの方、女というものを意識したことがなく、
まして身近に女を置いたことがないので、しどろもどろになり、やたらに汗をぬぐった。
ダルマ屋のおかみは四十を出ていたが、坊に助けられたトシは、
まだ二十をいくらも出ていないだけに髪の香油と、白粉のにおいが坊の鼻先をしきりにくすぐった。
 おかみは手土産の菓子折を差出してからいった。
「お客さん。まことに申しかねますが、今晩一晩だけで結構ですから、
このトシちゃんを、あんたの部屋に泊めてもらうわけに行かないものでしょうか。」
「えッ・・・」
「おどろくのはもっともですが、実は、さっきトシちゃんに乱暴した男は、
トシちゃんと去年の春に別れたばかりの亭主なんです。
札付きのゴロツキなものですから、また暴れ込んで来るに違いありません。
私らの店は女ばかりですから、あいつに来られると手も足も出ないのです。
あんたさんがそばについていてくれれば、あんなのが何人来ても大丈夫ですから・・・」
「そ、それァ困るてば・・・」と、はげしくかぶりを振るので、おかみが語ったのはこうだ。


トシという女は寿都の島牧生まれで、捨て子であった。
村の素封家だった中曽という荒物商が引き取って養育したが、
十八の年に村の漁場へ流れ込んで来ていた安蔵という男に見込まれていっしょになり、村で世帯を持った。
この安蔵という北見生まれのヤン衆は三度の飯よりバクチが好きで、
おまけにお酒飲みだった。酔うとくせが悪く、しかも、やきもち焼きでトシをさんざんになぐりつけるので、
トシは去年の春に乳飲み児を抱えたまま村を逃げ出し、知人を頼ってダルマ屋に働くようになった。
子供は里子に出したが去年の暮れに栄養不足で死んでしまいがっかりしているところへ、
別れた亭主の安蔵があらわれ、しつッこく復縁を迫ったあげく、酒を飲んでは暴れこんできていたのだという。
「トシちゃんはよくよく不幸の星の下に生まれて来たんですよ。
どうか、助けると思って一晩だけ、ここへ泊めて、安蔵のやつから守ってやってくれませんか。」
 トシも涙を浮かべながら、
「迷惑でしょうけれどもお願いします。隣の部屋でもいいんです。
あんたさんが隣にいると思えばあの男がやって来てもおっかなくありませんから・・・」
「困ったなあ。・・・ま、しかたなかべ。隣の部屋さ泊めてもらいなさいてア。
あの男が来たらつまみ出してやるしけ・・・」
「ありがとうございます。これで助かりました。」 と、トシは喜色を満面に浮かべて何回も礼をのべた。
 坊は口下手なので黙りこくっていたが、
おかみとトシには問われるままに、付け木売りを始めたいきさつをボソリボソリと語った。
「あんたもずい分苦労しているんだねえ」 と、おかみは真実のこもった声でいたわるようにいい、
トシと二人で坊の無精ヒゲの生えた顔をまじまじと眺めるのであった。
 おかみとトシの必死の頼みに負けて、坊はトシを隣の部屋に泊めた。
 これまで、女に声をかけられたことも無ければ親しく口を聞いたこともなかった坊だが、
二十三歳にもなっていれば女を考えたことがないといったらウソになる。
けれども、盲目の父を抱え、自分も半分は盲、それに弟を抱えて飢えをしのぐのが精一杯だったから、
女とは無縁の生活を余儀なくされてきたのである。
 隣の部屋に、トシという自分を頼り切ってくる女が寝ていると考えるだけで、
坊の胸は妙におののき、生まれて始めて味わう甘ずっぱい感情が胸をくすぐった。
けれども“俺は人並みの人間じゃない”という劣等感がすぐに頭を横切り、
坊は自分の感情を自分から無視して床についた。


翌朝、だるま屋のおかみがやって来た。
「お陰様でゆうべは安心して眠れました。
あの男もあんたさんにひどくやられたのがこたえたと見えて、姿を現さなかったし・・・
これもみんなあんたさんのお陰で・・・」と、タタミに額をつけんばかりに礼をのべてから
「重ね重ね、ご迷惑をかけますが、
このトシちゃんをこのまま瀬棚に置けばあの男が現れて何をするか判ったものじゃない・・・
ついてはやっかいついでに、
トシちゃんをあんたさんの村に連れて行ってもらうわけには行かないものでしょうか・・・」
「ん?俺らの村に・・」
「はい、ただ連れて行ってもらうだけでいいのです。木古内の川尻に“友綱”という一杯屋があるでしょう」
「・・・そういえばあったような気もするなあ」
「あるんですよ、たしかに。そこのおかみさんは私と一緒に函館の弁天で働いたことがあるんです。
そこの店でトシちゃんを使ってもらおうと思ってね」
「使ってくれるべか」
「それァ大丈夫、ことしの正月に函館のもとの店で会ったときに、
女の人がいたら世話してくれと頼まれたばかり・・・。
あの男が現れてからすぐトシちゃんに木古内へ逃げるように言ったんだけど、
一人旅では心もとないって、いままでぐずぐずしていたんですよ」
 トシも現れてなんとか木古内へ連れて行ってほしいと哀願するので
坊も仕方なく引き受けた形になり、トシを伴って、その日のうちに瀬棚をたった。


雪がまだ残っている山道を、ボロボロのドンジャにツマゴ(ワラ履)背中に大きなイワシカゴという異様な風体の坊と、
小ざっぱりした身なりに角巻をまとったトシの姿は奇妙な対照だったが、
トシは坊にすがるようにして楽しそうに歩いていた。
 瀬棚の町から東瀬棚に入り、そこから山道をたどって久遠へ抜ける道はかなりの難所だった。
 さっきまできらきらと輝いていた太陽がいつの間にか姿を隠し、
狩場山の方からはげしい風が吹いて季節遅れの雪まで降り出した。
 やがて吹雪ははげしくなり、二人の歩みは牛のように遅くなっていった。
 坊は、ときどき立ちどまりながらトシをいたわり、元気をつけながら歩いた。
「すみません。私がいっしょでなければよかったのに・・・」
「今さらなにを言うんだ。このくらいの吹雪は平気だ。半分は来た勘定だしけ、もうすぐだ。
晩方までには久遠さ出れるッてば・・・」と、励ましてみたが、
トシは初めての雪路に、しかも、猛吹雪と来ているのですっかり参ってしまい、いまにも泣き出さんばかりの表情。
 坊は、なにを思ったか、背中のイワシカゴをおろし
「さ、こうなったら恥も外聞もねえ。俺の背中さおぶさってけろ・・・」
「・・・まぁ」
「ジギ(辞儀)するな。さややど(早く)俺の背中さたむずかれ(ぶらさがれ)さ、早く・・」
 坊にうながされたトシは、感謝の目に涙を浮かべ、黙って子供のようにうなずくと、
坊の背中にすがりつくような格好でおんぶした。
 トシを背負った坊は、イワシカゴのひもを自分の腰にしっかりと結びつけ、
雪路をひきずりながらたくましい足取りで、吹雪の路を一歩、一歩と突き進んで行くのだった。
 坊の方は巨大な巌のようであった。
その背中にしがみついたトシは、まるで大木にセミでも止まったような格好で、甘えッ子のように見えた。
 坊は、売れ残りの付け木を入れたイワシカゴを引きずりながら、のっしのっしと吹雪の道を歩き出した。


口べたで、思うことの百分の一も表現できない坊ではあったが、
その気持ちの温かさは背中のトシに、ひしひしと伝わった。
肩にしがみつきながら、トシは涙ぐんでときどき小指の先で目頭をぬぐうのであった。
 吹雪は止まなかったが、旅なれている坊は平気で、トシをしっかり背負いながら吹きだまりの雪を踏み分け、
やがて、久遠に近い宮野部落へ出た。
 ここまで来ればもう大丈夫で、後は海沿いの一本道を南へ下るだけだが、
吹雪が止まらないため道がはかどらず、熊石の入り口まで来ると、もう、陽は西に傾いてしまった。
 坊は、いつもなら親しくしているあんまの家へ泊まるのだが、トシを伴っているので、仕方なしに宿をとった。
 熊石の人たちも「木古内の坊」のことは、よく知っている。
その坊が、妙齢の婦人を連れて宿を取ったのだから宿の女中も驚いた。
 オンボロ姿の坊といっしょの女は、坊よりいくつか年上ではあったが、あか抜けのした女である。
姉と弟にも見えなければ、むろん夫婦には見えなかった。
 晩飯だけは二人で向かい会って食べたが、
食事が終わると坊はさっさと別の部屋に消えて、早やばやと床に潜り込んでしまった。


翌朝、二人は握り飯を作ってもらって宿をたった。
からりと晴れ上っていたので道ははかどり、昼には乙部を越えて泊村の坂道に差しかかった。
 道端の木の根に腰をおろして握り飯を食べたが、
坊は一つ食べただけで、もう一つはふところの奥にしまい込んだ。
 いぶかったトシが聞くと、坊は白い歯を見せてニッコリしながら、
「こんどの旅ではこれというごちそうも手に入らなかったから、
せめて、この握りままばオドのみやげにするんだ。」と、答えた。
 トシがそっと差し出したもう一つの握り飯には手をふれようともせず、
「いいんだてば、よくかんで食べたしけ、一つで二つ分も腹がくちくなった。
俺ア貧乏だしけ、少しの飯になれているんだ。」
 そういってトシの握り飯には手をつけようともしなかった。
トシが食べ終わるのを待ちながら、遠くの海鳴りに耳を傾けている坊の無心の表情は、まるで仏さまのようであった。
 江差からの山道は天気にめぐまれたので、残雪を踏みしめながら旅は大いにはかどった。
 山から丸太を切り出して木古内へ戻る馬そりに出合って、二人は乗せてもらうことができた。
 馬車追いは坊と古くからの顔なじみで、
「坊、おめえどこでその別ぴんさんと連れになったや。」と、半分は真顔でたずねた。
黙ってニコニコしている坊に代わって、トシが手短に事情を語った。
「そうかね。お前さんが訪ねて行く“友綱”という一杯屋は俺もしじゅう行って、よく知ってるんだ。
大将もおかみさんもいい人だよ。
なんなら、俺がこの足で連れてってやるかな。」
「ありがとうございます。ぜひ、お願いします。」
「いいもなも、それにしてもあんたのような別ぴんさんが来てくれれば、あの店もますます繁盛するべ。
俺も料見入れ替えて、明日からガリッと通うかな、アハハハハ」


“友綱”の店は川尻にあった。この辺は飲み屋街で、中にはあいまい屋を兼ねているところもあったが
“友綱”は客の素性もよかったし飲ませるだけの店だという。
“友綱”の店には女中が三人いたが、どれも山出してパッとしたのはいない。
亭主は東京相撲の幕下崩れで、函館へ巡業に来たときに病気になり、
函館で療養しているうちにいまのおかみさんと出来て、木古内に店をもったが
商売の方は女房に任せて、自分は田舎の草相撲取りのタマゴを見つけるのに夢中だーなどと、
卯之吉は問われもしないのに教えてくれた。
 三人が木古内へ着いたときは、もう九時を回っていた。
 その足で“友綱”の店を訪ねると夫婦そろって大歓迎で、手をとらんばかりに招じ入れた。
 トシはその日から、“友綱”の女中になり、連れて来た坊も肩の荷がおりた感じだった。
三人をねぎらってお膳が出された。その料理に坊がハシをつけようともせず、
遠慮がちに「これ、家さもらっていってもいいべか」といった。
 おかみは坊の親孝行な事をよく知っているので、早速、折に詰めてくれたが、
トシも自分がハシをつけなかった分をその折りの中にそっと詰めるのであった。
 突然、卯之吉が盃を伏せて「俺らの料理も詰めてけさい。坊のまねして、俺も今夜は親孝行するんだ」と、
まじめな顔でいったとき、みんなは笑わなかった。
そして“友綱”の亭主は大きな体をゆすって
「そうだとも・・・卯之さんだけじゃねぇ。村の若い者はみんなそう来なくちゃならねえ」と、
一人で合点するのだった。


友綱の店で働き出したトシは、たちまち店一番の人気者になった。
すれていないのと、色白で、顔に愛敬があったからだが、
それよりもトシは気持ちのやさしい女だったから、だれにも好かれた。
 そのトシは、忙しい生活の中から時間を見出し、友吉一家の面倒を見てくれた。
 洗濯は一手に引き受け、着物のつくろいもしてくれたので、
それまでアカにまみれていた坊たちは小ざっぱりした服装になり、ボロを下げることもなくなった。
 トシは友綱の店で客が食べ残して行った料理や、坊の父親が大好きな焦げ飯もせっせと運んだ。
 坊と弟の留松は母親の愛というものをほとんど知らずに育って来たので、
タスキがけでかいがいしく立働いてくれるトシが、まるで母親のように思えてならなかった。
 “この人が本当のおっ母だったら・・・・・”と、坊も留松もいくど考えたか知れなかった。
 そして、父親は見えぬ両眼から熱い涙をこぼして、何回となく感謝の言葉をくり返した。
 トシは、そのたびに首を振って「私を助けてくれたのは友さんです。
友さんの恩は一生忘れません。いくら尽くしても尽くし足りないくらいです。」と、答えるのであった。
 トシはまた、村の悪童が坊の後をつけ回して 
“シズ家のコンビ カラスにダンゴ”と、はやし立てるのを聞くたびに表へ飛び出し、子供たちに哀願した。
「お前たち、頼むから友さんをはやし立てるのはおよし。
友さんは目が不自由なのに、父親と弟を養うために一生けん命働いているんだよ。
親孝行な友さんをいたわってやるのが本当じゃないの。ね、お願いだから友さんをからかわないでおくれ・・・」
 すると一人がいった。「おめえ、坊ば好きだべ。嫁コになったらいかべさ」
 この言葉に悪童連はドッと笑ったが、トシは必死だった。
「そんな罰当たりなことを。友さんは神様か仏様のように心の優しい人なんだよ。
後生だから友さんをいじめないでおくれ」
 トシの真剣なまなざしに動かされたのか、
悪童たちは袖に青ッぱなをこすりつけながら、いつの間にか四散して行った。


坊の付け木売りは、一日の休みもなく、相変わらず続けられた。
 イワシカゴに付け木を山のように積んで、遠くへ出かけるときは決まってトシの店へ立ち寄った。
「函館の在まで行って来るしけ、おど(父親)と留のこと頼みます」必ず、そういい残して村を出た。
 これまでと違って、留守の家にトシが顔を出してくれると思うと坊は心丈夫で、
踏みしめるワラジの足取りも軽かった。
 友綱の店へ来る客の中にもトシをからかうのがいた。
「トシちゃん。坊はおめえの恩人だッち話しだども、ただそれだけの関係か・・・・・」
「それ、どういう意味?」
「・・・・・もっとも、あの坊とおめえの取り合わせでは奇妙すぎるものな」
「どう奇妙なの。友さんていい人よ。とても人間と思えないくらい純心な人なんです。
あんたたちに友さんの爪のアカでも煎じて飲ませたいくらい・・・」
「ほう、えれえ打ち込みようだな。してみると案外お前の方が熱を上げてるんじゃねえのか。
タデ食う虫も好きずきッていうからな」
 するとトシは人が変わったようにすわり直して
「当て推量もいい加減にしてよ。友さんの気持ちがあんた方にわかってたまるものかね。
あの人の心の内は並みの人間にわかりッこなしなんだ。
友さんのことをとやかくいう人にはいまにきっと罰が当たるから・・・・・」
 この物凄い見幕には相手も恐れをなして首をすくめてしまった。
 そんなことはユメにも知らず友吉は道を急いだ。
父と弟にひもじい思いをさせまい。
上手いものを食べさせたい一心で、
漁場から漁場、番屋から番屋を伝わって付け木売りに余念がなかった。
“帰れば、家に父親が待っている”と考えただけで気持ちが明るくなり、足も軽くなるのであった。


函館の在を歩き回った坊は、久しぶりに松田邏卒のいる東浜町の屯所を訪ねた。
すると見なれぬ若い邏卒が出て来て、
うさん臭そうに坊の風態を眺め回し「お前は松田さんとどういう知り合いだ」
 坊は六尺近い巨体をかがめ「木古内の者で松田邏卒さんには大変お世話になった者です。」
「名前は・・・・・」
「川又友吉と申します。付け木を売って歩いております」
「ふーん。俺はまた乞食かと思った。松田さんはな、二ヵ月も前から休んでるよ」
「え?どうかしたんですか・・・・・」
「病気だ。卒中で倒れたんだ」
「ほ、ほんとですか」
「お前にウソをついてなんになる。ウソと思うなら家へ行ってみろ。寝ているから」
 坊は松田邏卒の家が天神町にあると聞いて、長い坂道をのぼって行った。
邏卒はやつれ切った顔で病の床についていた。
「旦那さん、一体これァどうしたわけです」と、
坊は涙声で顔をのぞき込んだが、松田邏卒は口をもぐもぐさせるばかりで
、一言も口をきけなくなっていた。
 それでもまだ自由のきく片手で坊の手を握りしめながらしきりに涙を流し
“よく来てくれた”という表情で何回もうなずくのであった。 
五十には間のある年だったのでまだ子供も小さく、
一家の大黒柱に倒れられた奥さんの顔には全く生色がなかった。
 それでも無理に微笑をつくって
「あんたさんのことは主人からよく聞いていました。よく来てくれましたねえ。
こんなことになってしまってあんたさんもさぞびっくりなさったでしょう」
 坊はドンジャの袖でいくども涙をぬぐった。
松田邏卒の手を握りながら、坊はしゃくり上げ、やがて声を放って泣き出した。
「三ヵ月もご無沙汰した罰だ。神様が恩人のところへ顔を出さなかった俺に罰を当てたんです」
「そ、そんなこと・・・・・」と、いいながら
松田の妻女も号泣する坊に慰めの言葉もなく、共にすすり泣くばかりであった。
泣きじゃくる二人を見つめていた松田邏卒の末の女の子も泣き出して母親の肩にしがみついていた。


坊は気を取りなおし、また来るといい残して表へ出た。
その足でカベ穴の大工藤吉の家を訪ねると折よく藤吉は家にいた。
「親方、大変だ」と、この男にしては珍しく血相を変えて上がり込んだ。
「なにが大変なんだ。しばらく見えなかったんでどうしたか心配していたんだが、さてはなにかあったな。」
「おれのことではねえ。松田の旦那が病気で倒れてしまったんだ」
「なあんだ。そのことかい。知っていたよ。するとお前さんはあれからずっと函館に来ていなかったんだな」
「そ、そうなんです。それが情けなくて・・・。
俺が恩人のところから足を遠ざけていたんで罰が当たったんだ。俺が悪かったんだ」
「なにもお前のせいじゃないよ。病気はいたし方のないことだ。なかなくてもいい・・・・・」
坊は一層はげしく身をもんでいたが、やがて涙に濡れた顔を上げて
「親方、なんとか松田の旦那を元の体にする方法はないもんだべか」
「・・・・・元の体にするのは無理だろうなあ。あの病気だけは医者も薬も効能がないんだ」
「そ、そんな情けないこといわねえで、俺に力を貸して下さいてば・・・。
まだちッこい子供もいることだし。なんとしてでもなおってもらわねばならねえ。
親方、頼むてば、なんとかいい思案がねえべか」
「そういわれても無理だよ。俺は神様でも仏様でもねえからなあ」
 この一言に、なにを思ったか坊はばッと顔を輝かした。
「そうだ。神様だ。神様におすがりするほかねえ。よしッ俺ァ神様に頼むど」
 藤吉は苦笑して
「お前さん、神様に頼むッたって一体どうして頼む気だね。願(がん)でも掛けるというのかね」
 坊は、それには答えず、あわてたように腰をあげた。
「友さん、どうする気だね・・・・・」
「ま、とにかく木古内さ帰ります。帰って佐女川様さお頼みするんだ。」
「佐女川様?」
「ン、俺の村の神様だ。大漁のお告げを下さるありがたい神様だ。
きっと佐女川様にお願いして松田の旦那を元の体にするんだ」
 坊はワラジをはくのももどかしげに、イワシカゴを背中にするより早く、
挨拶もそこそこに藤吉の家を飛び出していった。


佐女川神社は木古内の鎮守として村民の崇敬を集めていた。
 毎年、厳冬の一月に、村の若い衆が精進潔斉して、海中に飛び込み、ご身体を洗い清めている。
これは、享保年間、時の宮司が夢枕に立った神のお告げによって海中に入り、
身体を洗い清めたところ、その年、村では豊作・大漁に恵まれたといういい伝えによるものだった。 
この霊験あらたかな神様のことを、子供のころからいいきかせられていた坊は、
この佐女川神社に松田邏卒の本復を祈願することにしたのであった。
 木古内へ帰るより早く、坊は佐女川神社に野村宮司を訪ねた。
「神主さん、お願いがあってきました。」
「坊か、願いというのはなんかね。いってみなさい」
 坊は松田邏卒との間柄をとつとつと語って
「俺が一心に願(がん)を掛けたら佐女川様は俺の言うことを聞いてくれるべか・・・・・」
「さあて、それはどうかな。やってみなくてはわからん。
しかし、一心は巌をも通すという言葉がある。
また、陽気の発するところ金石また徹るという言葉があるから
お前が一心に、邪気を捨ててお願いすれば神様はお前の願いを聞き届けて下さるかも知れんぞ」
「ほ、本当ですか」
「本当だとも。精神潔斉して、一心に神様にお願いしてみなさい」
 坊は、祈願の方法を宮司に聞き、その日から参籠して一心不乱に祈った。
まず、裸一貫になって海に飛び込み身体を洗い清めた。
春といってもまだ桜の芽がふくんだばかりで、海の水は肌を刺すようにつめたかった。
 けれども坊は寒さなどものともせず何回も何回も身体を洗ってから
佐女川神社のお堂にこもり真心をこめて祈った。
 坊は、朝から飲まず食わすで一心不乱に祈り続けた。
「どうか私の命を縮めて松田邏卒さんをお助け下さい、元の体にもどして上げて下さい。神様お願いです。」
祈りながら涙を流し、体をふるわせてはなおもけん命に祈った。
 日がくれてもまだ拝殿にぬかずいていると宮司が迎えにやって来た。
「坊、まだ拝んでるのか。飯も食べずに、腹が減ったろう。
さ、社務所へ来なさい。炊きたてのごはんをごちそうするぞ」
 坊は空腹の余りヨロヨロしながら立ち上がって
「神主さん。ありがとうございます。俺ァ家さ戻ってママ(ごはん)食います。オドと留が待っているべから」
「そうか。感心な奴だな。お前さんにたべさせようと思って炊いたごはんだから、
持って帰ってみんなで食べなさい。オドの好きな焦げ飯もあるよ」
「ありがとうございます。辞儀なしにもらって行きます。」
「坊、松田邏卒さんのために祈るのはいいが、毎日ここへ来ていたんでは一家がひぼしになってしまうだろう
。ここへは、朝の早いうちに来て、昼前だけ祈願したならば昼から付け木を売って歩いた方がいいな・・・・・」
「そんなことしたら神様にしかられねべか」
「大丈夫だ。その代わり、あしたから私もいっしょに拝んでやるよ」
「神主さんも?・・・・ありがてえ、ほんとに俺ァありがてえ」
 涙ぐむ坊に、野村宮司は炊き立ての飯をどっさり持たせてやった。
 翌朝から坊は朝の五時に佐女川神社へやって来た。
朝まだきで、海の水が冷えきっているのをものともせず、
海に飛び込んで体を洗い清め、やがて拝殿にこもって一心に祈りだした。
 いつの間に来たのか、その横に野村宮司が座り、衣冠束帯に威儀を正して、朗々と祝詞(のりと)を唱え出した。 
坊は身の引き締まる思いで、なおも一心に祈り続けるのであった。
坊の祈願は三、七、二十一日間続いた。
宮司から「とにかく二十一日間だけ一心に祈ってみなさい」と、いわれていたからである。
二十一日目の朝、坊は起きがけに妙な夢を見た。
白髪の老人が杖を持って佐女川神社の前に立ち「まだまだ」と、首を振りながらニッコリ笑っている夢だった。
坊からその話を聞いた野村宮司は、思わず言葉に力をこめて「坊、それはいい夢を見た。
よし、きょうのお祈りを終わったら一度、函館へ行って来い。そして病人の容態を見て来るんだ。
少しは前より快くなっているはずだ。帰ったら改めてもう二十一日お詣りして、祈願をこめて見ることだ」
 坊はその日、熱心に祈ってから函館に向かった。
 折りよく幸連の浜に函館から小回し船が来ていて、
坊が函館へ行くのを待っていたように碇綱を解いたのであった。
 小回し船で函館の仲浜町へ着いた坊が、息せき切って松田邏卒の家を訪ねると、
ちょうど医者が来ていて、聴診器を当てているところだった。
 折襟(背広)の服に身を包んだ深瀬という医師は、
身体を起こした松田邏卒の背中に聴診器を当ててから、左右の手をなでさすっていたが、
やがて松田の妻女の方に向きなおった。
「口もきけるようになったし、左半身に知覚が出て来た。
手も少し動かせるようだ。この病気は百分の百、絶望なのだが、この患者は大分回復している。
これ以上は余り期待できないが、ひょッとすれば歩けるようになるかも知れん。どうも不思議だ」といい、
聴診器を黒いカバンにおさめて手を洗って帰った。
 布団を背に、起き直ったままの松田は坊の姿を見てニッコリ笑い「友吉、よく来てくれたな」と、はっきりいった。
 坊はにじり寄って松田の顔をのぞき込み「旦那さん、モノしゃべれるんだが・・・・・」
「うんうん、はじめは意識もなかったのだが、四、五日前から大分快くなってな。
モノもいえるようになった。お医者さんも不思議だといっているよ」
坊はモノもいえず、唇をかみしめながらボロボロと涙をこぼした。
「だ、旦那さん。よくなってけさい。一日も早く・・・。いまにきっと快くなるてば・・・・・」
「ありがとう友吉。なんだか元の体に戻れそうな気がするんだ。お前、函館へ来たら必ず顔を見せてくれよ」
 「寄るもなも。必ず寄りますてば・・・・・」
そういって、坊はまた涙を流した。松田邏卒も、なにを感じ取ったのか、まぶたを赤くしていた。


坊は、松田邏卒の家からカベ穴の藤吉のところに回った。
松田邏卒が大分よくなったときいて藤吉は首をひねった。
「不思議だなあ。十日ばかり前に行ったときには寝たッきりでモノもいえなかったのに・・・。
友さんまさか俺を担いでいるわけじゃあるめえな」
「かつぐってなんのことだべ・・・・・」
「ハハハ、おめえにそんなことができるわけはねえやな。よしッ、俺が一ッ走り行って見て来よう」
 飛び出して行った藤吉がやがて大げさに首をひねりながら帰って来た。
「ああ驚いた。あの寝たッきりの病人がカラカラと声を立てて笑ってるんだ。
しかも、ちゃんと口がきけるんだからなあ。医者だって驚くのァ当たり前だ」
「俺のゆった通りだべさ」
「お前さんの話し以上だよ。いま行ったら魚の煮付けで三杯もご飯をお替わりしていたぜ」
 藤吉のおかみさんも前掛けで手を拭きながら茶の間に入って来て、「中風にまちがいはないんでしょう」
「そうとも、立派な中風だ。中風に立派というのはおかしいがなハハハ」
「変ねえ。あの病気は体の半分がだめになるんでしょう」
「そうよ。松田さんも左はまだだめだ。少し動かすだけだ。
これから陽気がよくなるから左足を引きずって、表を散歩するぐらいのことはできるだろうが、
それ以上はやっぱり無理だろうなぁ」
 すると黙って二人の話しをきいていた坊が急に目を光らして
「親方、大丈夫だ。松田の旦那は必ずなおる・・・・・」
「・・・・・!?」
「きっとなおるてば。俺が、俺がきっとなおしてみせる」
そういい切った坊の目に涙が浮かんでいるのを見て藤吉は黙った。
「親方、あんないい人が中風になって、そのまま死ぬよンたら、この世の中に神様も仏様もねえ・・・」
 藤吉は大きくうなずいて
「その通りだ。松田さんはなおるかも知れねえ。いやなおる。きっとあの人はなおる」
坊はニッコリして「ンだ。松田の旦那はきっとなおるんだ」と
明るい顔になり、節くれ立った手の甲で涙をぬぐった。
 坊は木古内に帰ると再び佐女川神社に籠った。
 三、七、二十一日間お祈りした甲斐があって松田邏卒がグンと快方に向かったことに力を得、
祈願にもいっそう熱がこもった。
 坊は午前中、神社にこもっているので、付け木を売り歩くひまがなく、
一家の暮らしはまたぞろ窮迫した。
 坊は父親と留松に「大恩人の命を救うためだから我慢してくれ」と頼み、
家のことも忘れて一心不乱に祈り続けた。
 坊が、恩人のために水ごりを取り、海に飛び込んで祈願を続けていることが村中の評判になった。
だれいうとなく「坊はえらいやつだ。ただの正直者ではない。神様みたいな清い気持ちの男だ」と、
いわれるようになった。
 そして、村の悪たれ共の“シズ家のコンビ カラスに団子”のはやし言葉もいつの間にか聞かれなくなってしまった。
“友綱”に働いているトシは、坊の留守をせっせと訪ね、
自分の店はもちろん、近所の料理屋まで出かけては飯や料理の残り物をもらって、父親のところへ届けた。
 村の人の中には、そっと坊の家を訪ね、米や食べ物を置いて行く人もあった。


坊は二回目の二十一日間の祈願を終えて、函館へ出かけた。
泉沢の山から山菜を採って来てみやげにした。
 松田邏卒は前よりも一層元気になっていて、庭で盛んに歩くけいこをしていたが、
まだ左足が十分ではなかった。
「おう、よく来た。待っていたよ。お前に元気なところを見せたいと思ってな」
「どうもどうも」
「あれから二十二日になるな。そろそろ来るころだと思っていたんだ。病人は退屈なものだから、
日のたつのが遅くてな。毎日指を折っては日を数えているんだよ。
だからといってお前も付け木売りという商売があるんだから、そうそう函館に来てばかりもいられまいがな」
 松田邏卒は口が自由にきけるのがうれしいらしく、珍しく饒舌になっていた。
むろん、坊が佐女川神社に平癒祈願をこめているなどとは知らなかった。
「だが、せめて十日に一度くらいは顔が見たいなあ」
「・・・・・」
「陽気が少しよくなったら泉沢へ行ってみたいよ。久しぶりだからなあ。
フキかワラビの採れるところに・・・・・」
「うん、俺もいっしょに行く」
「そうだな。かなり歩けるようになったから、そのうちいっしょに行こう」
 縁側に腰をおろして二人が話し合っているところへ大工の藤吉がやって来た。
 藤吉は五日に一度ぐらいずつ顔をだしていた。
「おう、友さんも来ていたのか。松田の旦那はいつもお前さんのことを話ているんだよ。
商売も忙しかろうが、チョクチョク顔をみせてやってくれ」
「うん。したども、後また二十日ばかり来られねえ」
「二十日ばかり!?」
「ンだ。寿都の方さ行って来ねばならねえしけ」と、坊は心ならずも藤吉をいつわらなければならなかった。
「そうか、あんな奥地にまで出かけているのか。付け木もそうそう売れないだろうからなあ」
と、藤吉はうなずいて「友さんがこのつぎに函館へ来るころには松田の旦那もぐんとよくなってるだろうよ」
松田邏卒も明るく笑って「この分で行くと、あと二た月もすれば元の体に戻れそうな気がするよ」
と、いってから「だが、役所の方はいつまで休むわけにも行かんから、来月いっぱいで辞表を出すことにするよ」
 坊は“辞表”の意味がわからないのできいた。
「ジヒョウ?それ、なんのことんだべ」藤吉が話を引取って「松田の旦那は役所をおやめになるというんだ」
「・・・・・ほ、本当かね。役所をやめたらどうして暮らしを立てるんだね」
「しかたないさ。病気だもの。なあに駄菓子屋でもなんでもやるよ」
「そういったッて・・・・・」と、坊は早くも涙声になって
「来月一杯になおったらやめなくてもいいんだべ・・・・・」 
「なおればな。しかし、この病気は全快というわけには行かないんだよ」
「そ、そったらごとねえ、必ずなおる。現に、これほどよくなったでねえか。きっとなおる。
旦那さん、やめるの待ってけろ。はやまってやめねえでけろ」
 ポロポロ涙をこぼしながら、必死に訴える坊の顔をまじまじと見つめていた松田邏卒がいった。
「よしッ。坊のいうことを聞いて辞表を出すのは待つ。よくなるかも知れないからな。奇蹟ということもある・・・・・」
 坊が、三回目の祈願に入ったのは桜のつぼみが大分ふくれるころだった。
 風はかなりあたたかくなっていたが、それでも冷たい北風が吹き荒れるころは、
佐女川神社の前の海の水は肌を刺すように冷たく、
海中で身体をきよめる坊の体には鳥肌が立った。
 熱心に祈願を続けて、後一日という日の朝、坊はまたしても不思議な夢を見た。
こんども白髪の老人が夢枕に立ち、大きくうなずいて笑っている夢だった。
 坊は夢がさめるとすぐに起き出した。
外はまだ暗かったが、戸外には小鳥のさえずり声がやかましいくらいだったからもう朝に違いなかった。
 坊は三尺帯を締めながらしきりに考えた。
夢に出た白髪の老人が微笑してうなずいたのはどういう意味だろうと・・・・・。
 そのまま家を出て佐女川神社へ急ぎ、着物を脱いで海に飛び込んだ。
ところがこの日に限って海の水がいつもと違った冷たさで思わず身ぶるいして足を引っ込めてしまった。
“こんなことでは、・・・”と気を取り直して再び海に入ろうとするのだが、
背筋まで凍る寒さで、どうしても足が前に進まない。
坊は我と我が身が情けなくなって思わずポロポロと涙を流した。
「佐女川の神様、俺ァ意気地なしだ。許してけさい」と、
叫びながら手を合わせ、死ぬ気で海へ飛び込み、後は無我夢中で体を洗った。


昼近く、宮司もやってきて「坊きょうで満願だな」と、
声をかけながら坊のそばにすわり、祝詞を朗々と唱えてくれた。
 三度目の三・七・二十一日の祈願を終わった坊が、
着物をまとい、宮司に厚く礼を述べて、神社の鳥居をもぐろうとしたとき、
道路の方から神社へ曲がってくる人影を認めて坊は一瞬ぎくッとなった。
 その人は、まぎれもなく松田邏卒その人であった。
「あッ」
 松田邏卒は大して驚いたふうもなく
「やっぱりいたんだね。間に合ってよかった」
と微笑しながらスタスタと近づいてきた。
 杖もついていなければ足ももう引きずっていなかった。
 駆け寄った、坊の手を松田邏卒は無言で握りしめると、双の瞼から厚い涙をハラハラとこぼした。
「坊、有難う。なんとも礼のいいようがない。聞いたよ。みんな聞いた。」
 そういって握った手に力をこめてあふれる涙を拭おうともせずに頭を垂れるのであった。


松田邏卒は、四・五日前から急に体の調子がよくなり、全く昔の健康体に戻ったようであった。
 歩いて深瀬病院へ行き、診察を求めると、
深瀬医師も首をひねって「医学上では到底信じがたい奇蹟が起こった。
あんたの体は元通りの健康を取り戻している。
あと四・五日様子を見て、変化がなければ五月から勤めに出てもよいでしょう。」ということだった。
 そこで体をならすため、長い距離を歩いてみることになり、
函館市中を片っ端から歩き回ったが、全く異状がないばかりか、
むしろ若返ったように体中に活力がみなぎってきたので故郷の泉沢へきのうやってきたのだという。
本家へ一晩泊って、今朝函館へ戻るしたくをしていると、
木古内から知り合いのバクロウ(家畜商)がきたので坊のことをきいてみた。 
するとそのバクロウがさも感にたえぬふうで
「あの坊という男ははじめただの乞食か物もらいと思っていたんだが、
どうしてどうして神様に近い人間だ。函館で恩になった人の病気をなおしたいという一心で、
佐女川神社に二た月以上もお籠もりしている」というのでびっくりした。
 そこで根堀り葉堀りきいてみると
「なんでも乞食をしているところをとがめもせず、
付け木を売って歩いたらよかろうと親切に教えてくれた邏卒のためにお祈りしているらしい」という。
 そこで、あわてて木古内にやってきて、坊の家を訪ねると、
佐女川神社へ行っているというので引き返してきたというわけだった。 
松田邏卒は、なに思ったか自分も素っ裸になり、海へ飛び込んで身を潔めると、
坊と二人で社殿にぬかずき、神様に長い時間かけてお礼を言上した。
 神様に深々と頭を垂れる二人の目からは熱い涙がとめどもなく流れていた。


この年、邏卒制度が改められて「北海道巡査」と呼称されるようになったが、
奇蹟的に卒中を克服して現場へ復帰した松田巡査のことが部内でも話題になった。
 やがてだれいうことなく松田巡査のために平癒祈願をした者があり、
その効顕によって元の健康体になれたといううわさが広まった。
そのことが署長の耳にも入ったのである日、松田巡査は署長室に呼ばれ、事の次第を聞かれたのであった。
松田巡査は包み隠さずに話した。
「そうか、いや全く神仏の力というものははかり知れないものだなあ。
して、その坊という男とは一体どういう関係なのかね。単なる同郷人というだけではあるまい」
「はあ、それが、実は四年ほど前のことでございますが、
私が受持っている元町のあたりを物乞いしている青年がありましたので、
屯所へ連れて行って事情を聞いたのです。
ところが、家には盲目の父親と頑是ない弟が一人いて、食うや食わずの難儀の末、心
ならずも人様の門口に立ったというわけで・・・・・」
「ふむ」
「そこで私は、物乞いをすることは禁じられているし、お上のおとがめがあるからやめるようにいいましたら、
このままでは親子三人飢え死にと、嘆き悲しみましたので、とっさに思いついて、
付け木売りをやったらどうかとすすめたのでございます」
「なるほど、それは名案だった」
「根が正直で、仏様のような青年でしたから木古内でも援助してくれる人がありまして、
付け木売りをはじめましたところ、なんとか親子三人が糊口をしのぐことになったといって、
函館へ来るたびに私のところへ顔を出しては礼を述べて行くようになりまして・・・・・」
「そうか、そうであったか」
「しかし、私としては生活の方便を思いつくままに教えてやっただけで、
これほど感謝してもらえるとはユメにも思っていませんでしたので、
川又友吉が水ごりを取って、祈願をこめているなどとは考えてみたこともありませんでした。
全く感心な男というほかありません」
「いや、世の中というものはそういうものだよ。
当然恩返しをしなければならん人間が素知らぬ顔でいて、
ホンの少し情をかけてやったのが命がけで恩に報いる・・・・・。
それにしても坊とかいう青年は実に清らかな気持ちの男だ。
なんとかしてやらなければなるまい。それに松田君、君のこともな・・・・・」
「は?」
「ま、とにかく任せておきたまえ。悪いようにはせんから」
 それから間もなく、松田巡査は特命によって巡査部長に昇進すると共に、表彰を受け、金一封を授与され、
坊も木古内村長を経由して北海道庁長官から表彰状と金一封が伝達された。
これは、すべて函館警察署長・玉島警部の計らいによるもので、松田は大いに面目を施したのであった。
松田巡査部長は、休日に木古内へ出かけ坊を訪ねた。
「坊、お前のおかげで体が元通りになったうえ、
巡査部長に昇進することが出来た。しかも長官から表彰されてお金まで頂戴した」
 坊にはよくわからなかったが、とにかく松田邏卒にいいことがあったらしいのでニコニコしていると
「そこでな。長官から頂いた金一封は、これは私が使うべきではないと思ってな。
そっくりお前にやるから、この傾いた家でもなおす費用に使ってくれ」
「と、とんでもねえ。俺も役場からゼンコもらった。
なにがなんだかさっぱりわからねえども村長さんが来てムリヤリ置いて行ったのを開けてみたら五円も入っていたんだてば・・・・・。
俺もオド(父親)もビックリしてしまって・・・・・」
「ハハハハ、お前に取っては大金だろうからな。しかし、それはもらってもいい金なんだよ。
お前が佐女川神社に祈願をこめて私の体を直してくれたのをお上が誉めてくださったんだから・・・・・」 
「せば、本当にもらってもいいんだべか」
「いいとも、それに私の五円をたして、家をなおしなさい。こう土台が腐っていてはこの冬、もたんよ」
「したども俺ァ旦那さんからゼンコ頂くわけにァ行かねぇ」
「遠慮はいらんよ。もっと足してやりたいくらいのものだ」
 と、遠慮する坊の手に金を握らした松田巡査部長は早速飛び出して行って大工を頼み、
ひどく傾いている坊の家を、とにかく雨もりしない程度に修理してくれるよう頼んでくれたのであった。
坊は再び付け木売りの生活に戻った。
 木古内の人たちは、これまでと違った目で、坊を見るようになり
温かい声をかけてくれる人や、まだ付け木が残っているのに買ってくれる人もあった。
 番屋の親方衆は気も大きかったから、使いもしない付け木をどっさり買ってくれたうえ
「オド(父親)さ持って行ってやれ」と、珍しい食べ物などくれたりした。
 坊は、そのたびに、相手を伏しおがむようにして大切にフトコロにしまい込み、なん回もなん回も礼を述べた. 
父親の好きなコゲ飯や、珍しいお菓子などもらっても坊は一切手をつけず、必ず家に持って帰った。
どんなに空腹であっても、必ず父親に見せ、父親が食べてからでなければ決して口にしなかった。


九月に入ったばかりで、まだ暑さが続いていた。
 この年は夏イワシが大漁で、浜にはイワシの山が築かれ、
至るところで油や粕を作るために釜炊きが盛んに行われていた。
 大漁続きなので付け木もよく売れたし、貰い物も多く、坊は、日が暮れるまで付け木を売り歩いた。
カネキという番屋へやって来ると、ちょうど漁期を終わってアゴ別れ(網子別れ)の酒盛りが開かれていた。
納屋へ顔を出した坊は、酒盛りが開かれているので、あわてて引き返そうとすると、
中から「坊か、入れ」という声がかかった。
仕方なしに振り向いてお辞儀をすると、親方がニコニコ顔で
「坊、遅くまで付け木売りか、ご苦労だな。遠慮はいらねえから一杯飲んで行け」と、
やさしくいってくれた。「どうもおおきね。したども俺ァ生まれてこの方、酒コ飲んだことねえしけ・・・・・」
「そうか、それもそうだな。そんならなんかご馳走でも食べて行けや」
 折角のすすめなので、坊は土間の隅に腰をおろしていると、顔見知りの飯炊き(炊事婦)が来て、赤飯の包みをくれた。
 赤飯は父親の大好物だったので坊は喜んで、竹の皮包みをフトコロにしまい込んだ。
 すると、知内村から来ている武五郎という男がフラフラと坊のそばへ寄って、前にぴたりと坐った。
「坊、おめえ、折角のおこわ(赤飯)に手をつけねえで帰るのか」
 武五郎は力自慢の男で、村の宮相撲ではいつも大関を張っているほどだった。
 ふだんはおとなしくて愛想もいい男なのに、酒が入るとガラリと人が変わり、クセが悪いことで有名だった。 
坊はそんなことを知らないし、無邪気な生まれつきだから、武五郎にいわれるとニッコリ笑って
「ンだ、俺ァご馳走をもらっても先におどに見せることにしているんだ」
「ふーん。したがな、この赤飯はお祝いの縁起ものだ。一口でもいいから箸をつけてもらわねば困る」
「難しいことはわからねえどもおどと留と三人で後からゆっくりご馳走になるでば」
「いや、駄目だ。一口でも箸をつけてもらう」
 蛇のような目に見込まれて坊が答えに窮してしまったので、飯炊きの小母さんが見かねて
「武さん、相手ァ坊だもの縁起物もなにもわからねえべさ」と、
口を出したところ、武五郎は飯炊きをハッタとにらみつけて
「婆ァ、いらねえ口出しこくな。俺ァ坊さいってるんだ。さ、坊、おこわ食ってけろ」
 坊は泣き出しそうな顔になってフトコロから赤飯の包みを取り出し、仕方なしに一口だけつまんで口にした。
「これでいいべか」
「駄目だ。みんな食ってしまえ。みんな食ったらもう一包みくれてやる。」
すると坊は無言で竹の皮の包みを武五郎の前に置き
「せば、俺ァ、このおこわ貰われねえや」
と、いい、すっくと立ち上がった。この一言で武五郎は完全に頭に来た。
「なにこいだってッ。てめえ、たかがホイド(乞食)の分際で人がくれるものを返すというのか」
 坊は、武五郎の激しい叱咤を浴びたが、別に恐がる風もなく
「ンだ。一口だけでいいというから一口食った。オドに悪いと思ったども仕方なしに俺ァ食ったんだ。
それでも許されねえとなれば仕方ねえしけ、折角のご馳走だども置いて行くほかねえてば・・・・・」
 そういってニッコリ笑い歩き出した。
 坊が笑ったのを、なめられたと思った武五郎は、なにやらわけのわからぬことを叫びながら、
矢庭に坊の大きな体にうしろから飛びかかっていった。
 この騒ぎに奥の方で飲んでいた漁夫たちも騒然として立ち上がったが、
坊は全く無抵抗で、六尺近い巨体を武五郎にねじ伏せられ、鉄拳の雨を浴びせられた。
 いくら殴っても坊が身を伏せたまま身じろぎもしないので、さすが酒クセの悪い武五郎もきまりが悪くなった
のか、興奮がおさまったのか、殴るのをやめた。
 仲間の漁夫たちがとめたせいもあったろう。
 すると坊は、ホコリを払いのけながら立ち上がってニッコリ笑い
「武さん、もう俺ァ帰ってもいいかね」
 と、なにごともなかったような調子で歩き出した。
 武五郎は再びムッとなり
「て、てめえ」 と、怒鳴りつけた。
しかし、仲間の漁夫たちが何人もして武五郎を抑え付けてくるので前へ出ることができない。
 すると坊は笑いながら振り向いて
「武さん。あんたいい人だども酒コ飲めば人が変わるものなぁ。
あんたは酒と、その有り余る力で、いまにきっとひどい目にあうど」と、恐れるふうもなくいい放った。
武五郎が目をむいて飛びかかろうとするのに、坊は平気で、
「したども武さん、お前さんになんぼ力があっても上には上があるもんだ。いいかね。見てけさいよ」
と、いいながらタルキを手に取るより早く膝に当てて、えいッとばかりに気合を込めてポキリと折ってしまった。
 この怪力には武五郎も、そしてなみ居る連中も完全にどぎもを抜かれてしまい、
武五郎を押さえているのを忘れて手を放してしまった。
当の武五郎も、真ッ青になり、顔から油汗を流し、病み犬があえぐようにハァハァ息をつくばかり。
 坊が、もし怒り出して、武五郎の振り上げる拳骨を受け止めたら、
その腕をヘシ折るくらいのことは朝飯前の芸当であることが、だれの目にもはっきりしたのである。
 酔いもさめてしまった武五郎へ坊はなおも微笑を送りながら、
付け木の入ったイワシ籠を背負ってゆっくり帰って行った。
 飯炊きのおばさんが、あわてて番屋に駆け込み、赤飯の包みを三つ持って後を追って行った。


その晩、青菜に塩のようになっていた武五郎の右腕が急に痛み出し、たちまちはれ上がった。
火のように熱くなって病むので、さすがの武五郎も堪え切れなくなり、
医者のところへ駆け込んで、真ッ黒いドロドロした薬をつけてもらったが、
痛みは去るどころか、ますます激しくなるばかり。
 武五郎は油汗を流し、ウンウンうなり出して、しまいには声にならない声を放ち、獣のようにうめき出した。 
朝に成るのを待ちかねて医者のところへかけこんだが、外科医も首をひねるばかりだし、
つぎに出かけた骨つぎ医者も、なんではれたのか、どうして病むのかさっぱりわからないという。
 とにかく、応急の措置として再び黒い薬を塗ってもらって番屋へ帰ってはきたが、痛みは激しくなるばかりで、
しまいには剛気な武五郎が
「ああ切ねえ、この腕ば切り落としてけろ。頼む、助けると思って、俺の腕ば切ってけろてば・・・・・」
と、身をもみ、足をバタバタさせる苦しみぶり。すると、親方がやってきて
「武、おめえは罰が当たったんだぞ」
「・・・・・」
「考えてもみろ。罪もとがもねえあの神様みたいな坊を、ヘン力(折檻)こいだからだ」
すると、みんなも口々に「そうだそうだ。俺もそう思っていたんだ」といい出した。
「武、これからすぐ坊ば探し出して、手を突いて謝れ、
相手を坊だと思うなよ。あれは神様の生まれ変わりなんだから、
神様に謝るつもりで一心に謝るんだ。いいかわかったか」
 武五郎は、仲間に支えられながら坊の家へ行ったが、
坊は、この朝早く隣村の知内へ付け木売りに出かけたというので、
馬車を仕立てて武五郎を馬車に乗せて坊の後を追った。
 昼の十二時ごろ、やっと坊の姿を見つけたのは、知内の雷光神社の前であった。
 一同は馬車からバタバタと飛び降り、武五郎を抱きかかえて坊の前に座らせた。
 坊は、ポカンとして、なにがなんだか判らずに立ちつくしている。
 武五郎は大地に手を突き
「坊、俺が悪かった。俺はこれから酒をきっぱりやめる。
それから力自慢の宮相撲もやめるしけ、きのうのことはなんとかして許してけろ。この通りだ」
 と真心を面に現し、涙をポロポロこばして謝罪するのであった。
 坊は、やがて意味が呑み込めたらしく、大きくうなずいて
「いいもなも、俺ァなんも気にしていねえてば、さ、手を上げてけろ。
人に見られればおかしく思われるでねえか」
 武五郎は涙に濡れた顔を上げたが、
まるで神様か仏様のように見え、またしてもひれ伏してしまうのであった。
 首うなだれている武五郎に
「まだ病んでいるのか」と、坊はいたわるように聞いて
「打ち身だの肉ばなれには松葉がよく効くという話を聞いたことがあるてば・・・・・。
松葉に酢をかけて、摺り鉢で摺るんだ。松葉がベタベタになるまで摺って、
酢が泌み込んだのをつければなおるという話だども・・・・・」 
 これを聞いた一同は武五郎を再び馬車に乗せて木古内へ引返し、
坊にいわれたように松葉と酢で打ち身の薬をこしらえた。
 この薬をつけると、不思議にもすぐに痛みがうすらぎ、見る見るうちにはれがひいてきた。
それまで血の気を失っていた武五郎の頬にもようやく赤味がさして来て、
夕方にはほとんど元通りになってしまった。
 武五郎はしみじみと「世の中に神も仏もあるものかあったらみせてくれ─ というのが俺の口癖だったが
あの坊こそ生きた神様に違いない。“友綱”のトシ子が、坊を生き神様だといっていたのは本当だ」と述懐し、
それからというものはいくらすすめられても酒を口にしなくなった。
 このことがまた噂になり
木古内の坊の悪口をいったり、さからったりすれば
罰が当るとか、目がつぶれるなどといわれるようになったものだから、
それまで”シズ家のコンビ  カラスに団子”と、はやし立てていた子供たちは坊を見るとクモのコを散らすようにいなくなり
坊が通り過ぎるまで目をつむって直立不動の姿勢をとるようになってしまった。
 坊はそんなことに一向無頓着で、相変らず膝までの短いドンザ(刺し子)にイワシ籠を背負い
「付け木買わねがね。付け木要らねがね」と、漁場から漁場、軒から軒と渡り歩いていた。
旨い物を貰うと懐にしまい込んで、オド(父親)に食べさせるまでは一切口にしないのもいままで通りであった。


坊はしかし、実際に神様のようなところがあった。
 その年の秋、上磯の川原町で、函館へ行く小回し船を待っていると、
近所の家で夫婦ゲンカがはじまり
悲鳴と一緒に五つばかりになる男の子供を横抱きにした若いおかみさんがハダシのまま道路へ飛び出して来た。
その後から体の大きな亭主らしい男が薪を振りかざして道路へ飛び出して来たので、
思わず進み出た坊は男を押しとどめ、振り上げている薪をもぎ取ってしまった。
「とめねでけろ」と、男が険しい顔になったが、坊は一向に平気で
「その薪で弱いカカ様ばヘンカ(折檻)こいだところで自慢にもならねべさ、まやめさいてば……」
 男は仕方なしに帰りかけたが、立ちどまってしげしげと坊の顔を見ながら
「おめえさんが木古内の坊だな」
「ンだ」
 すると男は照れたように頭をかきながら
「おかしなこと相談するようだども、実は俺のカカァも木古内から来ているんでお前さんの評判はよく聞いているんだ。
お前さんは神様だといわれているようだども、どうだべ、俺の心配ごと除いてくれるわけに行かねべか」
「・・・・・・・」
「きょうのケンカもそのなやみがもとだ─ と、いうのは六つになる男の子供がショッッパリ(寝小便癖)でよ。
そのことでいまもケンカになったんだてば…」
 すると白い歯を出してニッコリ笑った坊が
「それは子供の罪でねえよみんなお前さんの罪だてば」
「俺の?」
「そうだ。お前さんはカラキジ(短気)でふたことめにおかみさんば怒鳴りつけるべ。
おかみさんのいい分をきかないから子供が小便たれるんだ」
「・・・・・」
「おかみさんはいいたくてもいえないから胸の中にいつもモヤモヤしたものが溜っている。
それが子供に伝わって寝小便になるんだよウソと思ったらカラキジ押えて見なさいてば……すぐに癒るしけに……」
「男は半信半疑の顔だったが、それでもペコンとお辞儀をして帰って行った。
 子供を抱いたおかみさんも極り悪そうに、亭主の後を追った。
 坊は、男の背中へ浴びせかけるように
「腹が立ったら“木古内の坊”と唱えて、二呼吸(イキ)だけ我慢することだてば……」といった。
 それから一年ばかりたったある日のこと。
坊がいつものようにイワシ籠をかつぎ、付け木の束を手にぶら下げて上磯の有川(いまの本町あたり)を歩いていると、
うしろから追ってきた一人の男が、「木古内の坊さん」と、さんずけでよびとめた。
「坊、坊」といつもよび捨てられている坊は、ケゲンな顔で振り返ると見たことのあるような男が立っていた。 
もっとも坊は、半盲状態なので顔は何回合わせても記憶が薄いのだが、声を聞くとすぐに人の見分けがついた。
 その声に聞きおぼえがあるような、ないような感じだった。男はペコリと頭を下げて
「もうとっくに忘れたべども去年のいまごろ、戸切地川の川尻で、あんたさんがこまわし船を待っているときに
子供のことでカカァとケンカしていた男だンす」
「ンだ、そういえば・・・」と、坊はニッコリして
「覚えているてば・・・たしか、子供がショッパリ(寝小便癖)でなんとかかんとか・・・」
「あい、そンだます」と、男も笑い顔になって
「実は、あのとき、あんたさんから子供のショッパリは俺のカラキジ(短腹)がもとだといわれたんだども、
かんがえてみるとその通りなので、俺は神明様(有川大神宮)に願をかけて、カラキジを起こさねえようにしたンだす」
「ほう、それはそれは・・・」
「カンシャクが起きかかったときには“木古内の坊”と、あんたさんにいわれたように唱えてみました。
すると、不思議にカンシャクがおさまって、ほとんどのカラキジを起こすことがなくなりましたてば・・・」 
「そのせいかどうか、あれほど毎晩小便をたれ流していた子供のショッパリがピタリとおさまって、
この一年間に布団を汚したのは二、三回もありましたべか。
本当に不思議なこともあったものと、神様にいまでも毎朝お 礼参りしているほどで・・・。
いいときにはいいことが重なるもんで、俺が子供のことで神参りするのを見て、
信心な男だと目をつけてくれた人がいて、
いまではこまわし船二はいを任せられるまでになっているんだンす。
それもこれもみんなあんたさんのおかげと考えて、一度はぜひ礼を述べたいと思っておりました。
いま函館から船を回して帰ってきたら、
あんたさんが有川の方へ行ったと聞いたので急いで後を追っかけてきましたようなあんばいで・・・」


小笠原勇助と名乗る実直そうなこの男は、なおも言葉を継いで、
「そういうわけで、うちのカカァもぜひ礼を述べたいといっているしけに、
ちょっこし俺のうちさ寄ってもらうわけにゆかねもんだべか・・・」と、恐る恐る聞いた。
すると、坊は笑いながら首を振って
「いやいや、そったらごとで礼を述べられる覚えはねえ。
みんなお前さんの心がけがよかったからそうなったまでだってば、ま、せっかく稼いでけさいや」
と、いうより早く、追いすがる男の手を振り払って浜久根別の方へ足早やに去って行った。
 その後、小笠原勇助は、木古内の坊の実家を訪ね、
坊の父親の大好物と聞いていた赤飯をどっさり届けたが、
五年ほど後、こまわし船の親方として成功したとき、
坊が相変わらず付け木売りで南部(青森県下北郡)に渡っている留守に傾きかけている坊の家を修理し、
坊の弟の留松に網を買い与えて、漁師として独り立ちできるようにしてやったのであった。


明治二十年。付け木売りを始めてからかれこれ十年ほどたって、
木古内の坊も三十歳になっていた。
弟の留松は、上磯の川原町に住む回漕業の小笠原勇助の世話で、
小さいながら独立して網をたて、なんとか一人口過ぎができるようになった。
 やがて、その留松も世話する人があって
茂辺地(今の上磯町茂辺地)からキヨという天涯孤独という気の毒な身の上の娘を嫁にもらった。 
ところがこのキヨがよくできた女で、
幼い頃両親に死別してさんざん苦労をなめているせいもあって留松には実によく尽くした。
 二人は、坊の家のすぐ隣に住みキヨが盲目の義父にもよく仕えてくれた。
 だが、留松は、いつの間にかひどい怠け者になってしまった。
 留松という男は、人は悪くなかったが、どういうものか根ッからの酒好きで、
雨が降ったといっては休み、風が強いといっては飲んで寝てしまうという男だったので
たった二人の暮らしもままならなかった。
 けれどもキヨは愚痴一つこぼすでなく、拾い出面を取って、かいがいしく働き、逆に亭主を養う始末だった。 
キヨは気丈でいて、しかも気が優しく、義父にも、そして坊にもよく仕えた。
 ときどき顔を出す“友綱”のトシにも「姉さん姉さん」とよくなついた。
 坊は口下手だからお世辞もお上手もいえなかったが、
陰になり日向になりしてキヨをかばうので
キヨはよくできたこの兄に深く感謝し、身を粉にして働くのであった。


やがて、キヨが身ごもり、臨月も近くなって働きにも出られなくなった。
 亭主の留松はそれでも一向に仕事に身を入れようとしないので
二人きりの暮らしというのにその日の食べ物にも事欠くようになった。 
そんなわけで坊は、弟に内緒で付け木を売った儲けをそっとキヨの手に握らせることもたびたびだった。
 やがて、たまのような男の子が生まれ、幸太郎と名づけられた。
 産後は三、七、二十一日寝ていなければならないのだが、
亭主がぐうたらを決め込んで暮らしに困るため、キヨは十日もすると起き出して働きに出ようとした。
 仕事に出ようとするキヨを押しとどめているところへ、留松がふらりと帰ってきた。
 まだ昼だというのに、どこで飲んできたのか熟柿臭い息をプンプンさせていた。
「留ッ」いつになくきつい声で坊がいった。
「おめえ、めんこい子供まで生まれたというのに、なにが不足で沖さ出らねえんだ」
「・・・」
「留ッ、なんとかしゃべってみれ。どうして稼がねえんだ」
留松はふてくされたように炉端へ横になると
「俺のカマドがどうなろうとあんちゃ(兄者)の関係したことでねえ」
「それはそうだども、こんなことをしていたらキヨも赤ン坊も可愛想でねえか」
「ふん・・・俺ァどうせあんちゃみてえ神様とは違うんだ。並みも並み、その以下の人間だしけな」
「留、それァどういうことだ。おめえは俺と違って、目も見えるし体もどこといって悪いところァねぇ。
稼ぐに追いつく貧乏なしで沖さ出さえすれば親子三人楽々に暮らせるはずだど・・・」
「・・・」
「どうしても稼ぎたくねえのか」
「・・・」
「よしッそれなら少し話しがある。表さ出てけろ」
 産後のキヨの体を心配して、
坊は極力気持ちの昂りを押さえながら留松の襟首をつかみ、半ば引きずるように
して裏口から外へ出た。
 納屋の裏まで連れ出した坊は、あたりに人のいないのを見すまして、
モノもいわずに留松の横ッ面を張った。
 六尺近い巨躯で、しかも怪力の坊が力まかせに殴ったのだからたまらない。
留松は三間余りも吹ッ飛ばされて納屋の戸に体を叩きつけられた。
悲鳴をあげて逃げようとする留松を、飛びかかった坊は馬乗りになって押さえつけ、
首を締め上げながらいった。
「留、どうしても稼ぐ気ァねえか。昼日中から酒が飲みたいか。
てめえの返事次第では、仏様といわれた俺だが一生に一度だけ鬼になる どッ。」
 そういって、坊は泣きながら留松の首を締めていた。
 留松は地べたに突っ伏して泣いた。
坊が「起きろ」とやさしくいたわると、留松は一そうはげしく泣きじゃくって・・・
「あんちゃんには俺の気持ちが判っていねぇんだ。俺ァなにも怠けたくて怠けているわけでねぇ」
「そんならどうしてカカァ、子供をあずかう(養育する)算段しねえんだ」
「・・・」
「留ッ、そのわけを俺にしゃべってみろ。それともしゃべられねえわけでもあるのか」
 留松は泣くのをやめて身を起こし、刺子の土を払いのけながら
「俺がなんぼまっとうに働いても村の人たちァ俺のことを兄のすねかじりだ。
坊のお陰で船も網も貰った能なしだと・・・・・」
「・・・そったらごとで男わらしがメソメソしていられるか」
「それだけなら我慢もできるが、村の連中は、
二こと目にはホイド(乞食)の弟と、俺のことを陰口しているんだ」
「なに、ホイドだと・・・」
 さすがに坊の顔色も変わった。
口惜しそうに下唇を噛んでいたが、やがて気を取りなおしたようになん回もうなずいて
「それァまあ、もっともな話だ。ホイド同然の身が、松田の旦那に教えられて付け木売りをはじめたんだからな、
したが、留よ、俺たちの陰口をたたく村の人は
俺たちが明日に野垂れ死にするからって面倒見てくれるわけのものではねえ。
けれども、松田の旦那にしても、付け木を分けてくれる山チの親方にしても、
友綱の店の姐さんにしても、俺たち一家に親切にしてくれる人は多勢いるんだど。
俺達が人様の情にすがって生きてきたのァたしかだ。・・・
したが食うに困るからといって、盗みかッ払いをしたことだけは一度もなかったべ」
「・・・」
「オド(父親)はまるっきりの盲、俺はこの通り半分盲だ。
しかもおめえは小さかった、となれば、人様から施しを受けるか、
付け木売りでもしなかったら生きていられなかったべよ。
おめえは俺達と違って目が見えるんだ。意地を立てて一生懸命に稼いでよ。
人様の施しを受けなくても立派にカマドを立てるように奮張るのが男わらしというもんでねえか」
口下手で、どもりの坊が涙を浮かべながらいいきかせるのを黙って聞いていた留松は
「あんちゃ、許してけろ。俺が悪かった。俺の考え違えであった。
これからは他人の陰口なんか気にしねえで一生懸命に稼ぐ。
そして陰口きいてるやつらを見返してやるんだ」
「そうともよ。留松、なんといわれても俺とおめえは二人しかいねえ兄弟だ。
俺ァいままで通りオドの面倒を見るしけ、おめえも頑張って一人前の漁師になってけろよ。
盗みや不正直なことをしなければなにも恥ずかしいことはねえんだ」
二人は肩を寄せ合い、ひしと手を握ったのであった。
 このことがあってから留松は人が変わったように明るくなり、だれよりも先に沖へ出かけるようになった。
 稼ぐに追いつく貧乏なしで、留松はみるみる暮らしが楽になった。
 夫婦仲もいたって睦まじく、大きくなった一粒種の幸太郎が、
盲目の祖父の手を引いて浜へ出るようになったので、
オドも張り合いが出てきたのか年と共に元気になり、
川又の一家はだれの世話にもならず、立派に自立できるようになった。
坊が、涙と共に弟の留松を殴りつけた年の十二月の末、坊はいつものように付け木売りに出かけた。
 札苅の浜からこまわし船に乗って函館へ出、次の日帰りかけると急に吹雪いてきた。
 こまわし船はもやいを解くことができなくなったので、坊は仕方なく吹雪の道を歩いて木古内へ帰ることにした。
 函館から木古内までは十里(四十キロ)の道のりなので、とても一息に歩き通すことはできない。
 上磯の三ッ家(いまの谷好)か富川で、知り合いのところへ泊まるつもりだった。
 坊が函館を立ったのは午後の五時過ぎだったが、
冬の日足は早く七重浜のあたりに差しかかった頃にはもうあたりが真っ暗になっていた。
旅慣れている坊は平気だったが
まともに吹きつけるアラレまじりの雪にはさすがに難渋して、顔を上げることもできなかった。
 一歩一歩雪道を踏みしめて歩いていると、なにやら柔らかい者を踏みつけ、ぎょッとして立ち止まった。
 いぶかりながら腰をかがめて、手でさわってみると、こわいかに吹雪で雪倒れになった人間なのであった。
 坊は背中のイワシ籠をかなぐり捨て、手早く背負って、人家を求めて歩いた。
行き倒れていたのはよほどの老人らしく、長いアゴヒゲを生やしているのが判った。
 坊は夢中で、その辺を歩き回ったが、
人家の稀れな追分のあたりなのでなかなか探し当てることができない・・・。
 吹雪はますますつのり、一寸先も見えないほどすさまじさを加えてきた。
 坊は次第に焦り出し「おうい、だれか助けてくれぇ」と、
声を限りに叫びながら人家を求めてさまよい歩くのであった。
 老人を背にした坊は猛吹雪の中を一時間余りもさまよったが、
なかなか人家は見つからなかった。
 “このままでは二人とも行き倒れになる”と考え、
しゃにむに歩き出したが、こんどは全く方角が判らなくなってしまった。
 それに人家を探し求めているうちに道路を踏みはずしてしまったらしい。
 だが、坊は不思議に落ちついていた。
とっさに思案を定めると、先ず自分の立っているところから正面に百歩歩き、
こんどはその道を戻って二百歩歩いた。
それでも道路らしいものがみつからないので、こんどはその道を百戻ってから横に百歩踏み出したところ、
半分も行かないうちに、道路に突き当たることが出来た。
 こんどは道路を踏みはずさぬように気をつけ、
一息入れて歩き出すと、間もなく前の方から馬そりの鈴の音が聞こえた。
 地獄に仏の思いで、その馬そりに大声で呼びかけたが
吹雪にさえぎられて声が途切れ、言葉を交わすこともできない。
 とにかく、空の馬そりに後ろから乗り込み大急ぎで背中の老人をおろした。
 いくら吹雪いていても馬はたしかなもので、
リンリンと鈴を鳴らしながら、すぐ近くの道路を折れ曲がって一軒の小さな家の前に停まった。


坊が乗ってきた馬そりは、追分の中尾という家で、この中尾の当主は磯吉といい、
函館の馬鉄会社に飼料の草などを納めるのを業としている人だった。
 馬そりに乗ってきたのは、この中尾家の帳場で、豊太郎という青年だったのである。
 坊は付け木を売りに何回か寄ったことがある家で、家人とも顔なじみだった。
 ふだんから親切な一家で、要りもしない付け木を買ってくれたり昼食を振舞ってくれたこともあった。
 当主の磯吉は五十がらみの体の大きな男で、無類の酒好き。
この日も晩酌をはじめたばかりのところへ豊太郎が坊と、老人を連れ込んだ一家は総出で老人を介抱してくれた。
 囲炉裏にはたくさんの薪が投げ込まれ、茶の間には早速布団がのべられた。
 磯吉の一人娘はかいがいしくタスキをして、気を失っている老人の手足を懸命にこすった。
一家の献身的な看護で老人は一時間もすると意識を取り戻した。
 気がついてみると、この老人は僧形であった。旅の行脚僧だったのである。
衣はひどく汚れ、破れていたが、
胸にかけた袈裟は金らんだったし、雪のように白いアゴヒゲには犯しがたい気品がただよっていた。
 年はかれこれ七十歳に近いようである。
 床の上に起きなおった老人はていねいに両手をつき、
厚く礼を述べてから控え目な態度で身の上を語った。
 やはりこの老人はただの乞食でもなければ行脚僧でもなかった。
 京都・嵯峨の臨済宗本山天竜寺の役僧で羽村亮禅師といい、
天竜寺の経堂建立のため東北、北海道を行脚し、喜捨を集めていたのであった。
 函館にきたのは三ヵ月ほど前で高竜寺を宿にして市中や近郊を歩いたのち、
江差の正覚院を訪ねて函館を出発したところ、
思いもうけぬ猛吹雪に出会い、行き倒れてしまったのである。
 「このご仁が後からこられなければ・・・・・」と坊に目礼をし
「はたまたこちらのご一統様の手篤い看護がなければ、
いまごろは多分冥府の旅を急いでいたことでございましょう」と、
中尾家の人たちにふかぶかと頭を下げるのであった。
 京都・嵯峨の天竜寺といえば臨済宗の本山として聞えた名刹で
、行き倒れを救われた羽村亮禅師は管長の代理を勤めるほどの高僧であった。
 中尾磯吉は秋田県の生まれだったが、
偶然なことに老師も秋田の産だったので大いに話がはずんだ。
 やがて温かい飯が炊かれ、老師と坊は並んで膳に坐った。
 吹雪はますますひどくなり、北から叩きつけるような風はわらぶき屋根をしきりに揺さぶった。
 二人はすすめられるままに泊めてもらうことになり、枕を並べて床に就いた。
 翌朝はカラリと晴れ上がって雲一つない好天気だった。
起き出した老師は、家人が湯を持ってきたのを丁重に断り、水で口をすすぎ、
顔を洗ったのち、中尾家の仏壇に向かって低い声で経文を誦した。
 坊も水で顔を洗い、老師の後に坐って掌を合わせていた。
 読経が終わった老師は、坊に向きを変えて
「昨夜、あんたに一命を救っていただいたのもなにかの因縁でありましょう。
お礼をしたくともご覧の通りの旅の行脚僧で、なにもできません。そこで・・・・・」と、いいながら
老師は懐中から大きな天眼鏡を取り出して
「昨夜から気がついていたのじゃが、あんたは、みすぼらしい姿をしておられるが、
不思議なことに貴人の相を備えておるのじゃ。私はいささいか観想学をたしなんでおるので、
とっくりとあんたの人相を見せてもらいたいのじゃ」
 びっくりしている坊の顔を天眼鏡でまじまじと眺めていた老師はやがて大きな吐息をもらして
「どうも、不思議としかいいようがない・・・・・。
観想学を学んで四十有余年になるのじゃが、あんたのような変わった人相を観るのはきょうがはじめてじゃ」
 目をパチクリしている坊の掌を取って、
今度は手相を覗き込んでいたがまたしても吐息をもらした。
 長尾家の人びとも老師がなにをいい出すかと、かたずをのんでいる。
「友吉さんとおっしゃたかな。あんたは本来、私どもと同じ僧侶になるか、
さもなければよほど身分の高い家に生まれていなければならないはずのお人じゃ。
いまのところ親子二代にわたって不幸せな生活が続いているじゃろう。
おそらく暮らしを立てるのもようやくのはずじゃが、
物質運には恵まれずともその心は大海の如くに広く穏やかじゃ。
しかも自分を主張することもなし、欲というものも全く持ち合わせていないお人じゃしたがって、
他人には不幸に見えても、あんた自身は生まれてこの方一度も我が身を不幸と思ったことはない・・・
まるで神か仏のようなお方なのじゃ。
在家の俗人であるあんたに較べて出家の身のこの儂は全く恥ずかしい限り・・・」
 と、いい、再び天眼鏡を取り上げて坊の顔を覗き込んでいたが、やがてハタと膝をうち
「友吉さんとやら、この世では、これからも物質運に恵まれることはあるまい。
が、来世に生まれ変わるときはおそらく長者の家であることは間違いあるまいて」と、晴れやかに笑った。
 坊はよく意味がわからなかったが、
なんとなくいいことをいわれたような気がしたので「どうもおおきね」と手を突いて老師に礼を述べた。
 老師はついで中尾磯吉をはじめ家人や帳場などの人相、手相を観てくれた。
老師は、まるでどこかで聞いてでもきたかのように中尾家の人々のことをズバリズバリといい当ててから
最後に当主の磯吉に向かって
「気の毒だが、あんたは深酒がたたって寿命は余り長くないようじゃ。
とてもあと十年は無理じゃろう。ま、早いとこ娘さんに養子をお貰いになることです」
磯吉が苦笑いして
「お坊さんにいくらいわれても酒だけはやめる気になれません。しかし、いい婿が見つかるものでしょうか」
「見つかるとも、ことしのうちに見たこともないような青年が現れて養子縁組が行われるじゃろう。
その男は強い運を持った男で立派に後をやって行きます・・・。
しかし、金はうんと持つが、どうも体が弱いようじゃ」
「・・・・・」
「中尾さん。あなたは金と健康を引き替えにするといったら、いったいどちらを選びなさるかの」
「さあ、どちらも欲しんですがねえ」
「ハハハ、それは欲というもの。両方授かれば、
こんどは家庭内がもめるという具合で、とかく憂き世は住みにくいものですて・・・」
 老師はやがて腹が痛いとき、歯が病むときなど、どんな手当てをすればよいかを教え、
いちいち帳場の豊太郎に書き取らせた。
 やがて老師と坊の二人は中尾家の娘が握ってくれた心づくしの握り飯を背に、幾度も礼を述べて出立した。


それから一年近く経ったある秋の夕暮れ、
木古内の村へ入ってきた年老いた旅の雲水が木古内の坊の家を訪ねた。
全道を行脚し終えた羽村亮禅師である。
 いかなる偶然か、それとも因縁によるものか、
ほとんど家にいることのない坊が、その日はちょうど旅から帰ったばかりで家にいた。
 老師の突然の訪れに、坊も年老いた父親もびっくりした。
老師は男世帯の汚い坊の家にのこのこと上がり込み、
一別以来の挨拶を交わしたのち、札幌や小樽で買い求めてきたという珍しい菓子を取り出した。
 そして、坊がまだ右、左もわからぬうちに亡くなった母親の供養を手厚く営んでくれた。
「友吉さん。これから先も父ごさんを大切にしてお上げなさいよ。
あんたの孝心は必ず来世で実を結びますぞ。
あんたはそんなことを考えたこともないじゃろうが、きっとそういうときがくる。
あんたが盲目に近い身で、父ごに孝養をつくしておられることは世間の鑑ともなっておられるのじゃから、
それだけでも神仏はどれほどお喜びになっておられるかはかり知れない・・・・・」
 そういって、大切そうにフトコロから取り出したのは北海道の奥地に生えているトリカブトの根であった。
「これはアイヌが弓の矢の先に塗って敵と戦うくらいに強い毒を持った木の根じゃ。
この根を煎じたものをきれいな水で薄めて目を洗ってごらんなさい。
父ごの目も洗うのです。きっといまよりも目がよく見えるようになるはずじゃ・・・・・」
 老師は、その根を坊のところに残し「今晩は木古内の寺に泊まり明日の朝早く立って、追分の中尾家を訪ねる」
といって、坊の家を辞去した。
 坊も函館へ付け木売りに行くつもりだったので、
つぎの朝早く、お寺へ老師を迎えに行き、二人は肩を並べて函館を目指した。
 札苅の浜から上磯の有川へ行くこまわし船に乗せてもらった二人は、
親子のように睦まじく語り合うのであった。


訪ねて行った中尾の家では今夜婚礼を行う手はずで支度の真ッ最中だった。
 老師が予言したように、娘の婿養子が決まったのである。
津軽生まれの子之吉という青年で、老師が去って一と月ほど経った真冬の夜、
やはり猛吹雪に遭って死にそうになり、中尾家の灯を頼りに転がり込んできたのだという。
 北海道の奥地の土方部屋を九死に一生の思いで逃げ出し、函館郵便局の工事に傭われていたが、
仕事が終わったので、工事場で知り合った大野村の友だちを訪ねる途中、行き倒れになりかけたのだという。
 そのまま中尾家にとどまり働いているうちに磯吉が人物に惚れ込み、娘と一緒にさせることにしたのだという 
訪ねた日が、その結婚式の当日だったのにはさすが老師もうなってしまった。
不思議といえば余りにも不思議なめぐり合わせだったからである。
 磯吉も感激して「これも仏様のお導きに違いありません」と、
老師に天竜寺経堂建立資金の足しにと、手の切れるような百円札を五枚差し出した。
「こ、こんな大金を・・・・・」
「いやいやお恥ずかしい。これが私の全財産ですが、金はしかし、働けばまた手に入ります。
こんないい婿を授けて頂いたお礼と思えば安いものですよ」
羽村亮禅師はその金を押し載いたのち、老師が導師となっておごそかに仏前結婚式を行ったのであった。
着ている衣は破れ、ところどころにあかがにじんではいたが、
数珠をもむ老師の顔にはやはりおかしがたい気品が満ち溢れていた。


坊を終生の恩人ときめている“友綱”のトシが水商売の足を洗って再婚することになった。
 その相手は、坊とトシが瀬棚から木古内へくるとき、馬ソリに乗せてくれた卯之吉だった。
 卯之吉は一人息子で、親の郷里の岩手県から嫁を迎え、仲睦まじく暮らしていたが、間もなくふた親に先立たれ、
続いて二年ほど前にふとした風邪がもとで嫁が死んでしまったため、
やもめ暮らしをしていた。
 ところが、悲嘆のどん底に沈んだ卯之吉は、仕事も手につかず、“友綱”へきては酒ばかり飲んでいた。
 みかねたトシが、坊のことを引き合いに出し、涙を流して強意見をしたところ、
まるでつきものでも取れたようにもとの卯之吉に立ち帰って、真面目に働き出した。
 ところが、卯之吉は親の財産が岩手県の花巻在にあるため、
いずれは花巻へ戻って先祖の礎を建てなければならなかった。
 そこで、花巻へ帰る決心をした卯之吉は、トシに結婚を申し込んだのである。
 トシも卯之吉には好意を持っていたが、出しぬけの結婚申し込みにビックリした。
「トシさん。俺ァ浮いた気持ちでいってるんではねえ、
いずれは再婚しなけれゃならないんだし、この際気心の知れたお前さんならと思ってな」
「本当に有難いと思うんだけど」
「内地へ行くのがいやか」
「いや、そんなことはないんだよ。ただ、友さんと離れて暮らすのが辛くてねえ」
「ふーん、お前、まさか友吉に」
「いやだね。冗談じゃないよ惚れたの腫れたのというじゃなくてあの人は私の命の恩人だからね。
なんとなく傍から離れたくないの」
「そうか、困ったなぁ」
腕をこまねいていた卯之吉は、とにかく考えておいてくれ、といいのこしてその日は帰った。
 羽村亮禅師と一緒に函館へ出かけていた坊が、イワシ籠を空にして帰ったのは十二月の月初めだった。
 中尾の家や函館でもらった土産を取り出し、父親と囲炉裏を囲んでいるところへ誰かが訪ねて来た。
「お晩になりました」と、いう声の主は聞きなれている卯之吉の声であった。
「おお、卯之さんか。ま、上がるべし、上がるべし」
 いつもとはどこか違った様子の卯之吉が、やがて膝を折り直した。
「友さん。実は少し相談ごとがあってきたんだ」
「・・・・・相談?俺のようなものに相談とは一体なんだね」
 卯之吉はトシに結婚を申し込んだいきさつを説明して
「南部の花巻さ帰れば孫爺さんが遺してくれた杉の木の山が二十町歩もあるんだ。
それをもとでに俺は製材所をやるつもりでいるんだが、
それにつけてもいい女房を持たねえことには万事につけて不自由でならねえ」
「それぁそうだとも」
「そこで気心の知れたトシさんに目をつけたわけだが、
あの人はお前さんたちも知ってのように、水商売に働いているのには珍しく気立てのいい人だべ」
「ンだもなも。して、トシさんはなんて返事した」
「そこだてば。トシさんはお前たち親子と離れたくない。
いつまでも傍にいて見ていてやりたい。というんだ。お前さんば命の恩人と思い込んでいるしけにな」
「ふーん。それァ有難い話だ。トシさんらしい返事だてば。したども・・・・・」と、坊は膝を乗り出して
「それはトシさんの考え違いだ。
あの人だって一生独り身で暮らされるものではなし、卯之さんとだば似合いの夫婦だ。
卯之さんさえあの人に一生泣きを見せないと、俺に約束してくれれば、俺ァ大賛成だよ」
「そうか、そういってもらうと俺も心強い。
トシさんには決して泣きを見せねえしけにお前さんからもよくいってやってくれねえか」
「いいもなも。その代わり卯之さん。あの人のことはよろしく頼むど。
ゼニカネのことをいってるんではねぇ。たとえ貧乏することがあっても、あの人を裏切るようなことのねぇようにな。
トシさんは俺ば恩人だなんていっているが、実はあの人こそ俺の一家の恩人だ。
あの人がもし苦労していると、風の便りにでも耳にしたら俺は南部だろうが花巻だろうが出かけて行って、
お前さんに意見してやるど」すると卯之吉はポンと横手を打って
「そうだ。トシさんもお前たちと離れるのが辛いといっているのだから、
年に二回、春と秋に必ず花巻さ来てけろ。
俺の家ば宿にして付け木を売り歩けばいいでねぇか。それがいい・・・・・」
 勝手に独り決めした卯之吉は、
「これで決まった」と、帰りの挨拶もそこそこに坊のところを飛び出し“友綱”の店へ駆け込んで行った。


こうして正式に結ばれた二人は形だけの祝言をしたが、
坊も招かれて、トシの親代わりの席に就いたのであった。
 二人が木古内を後にしたのは翌年の三月末で、函館桟橋まで見送った坊に卯之吉は
「おどのことは留松夫婦に任せて必ず秋までには花巻へ来てくれよ」と、くどいほど念を押した。
 トシも涙を流しながら坊の手を握って
「必ず来て、元気な顔を見せて下さいよ。
うちの人が製材所を始めたら付け木をつくって、あんたに売ってもらいたいといっているんだから、
体一つで来てくれればいいんだよ」
「ねえさん有難う。俺ァ必ず行くから、そのときァよろしく頼むよ」と、
坊は握られた手をしっかりと握り返すのであった。
卯之吉とトシが岩手県の花巻へ去ったのは明治三十二年の春だった。
 坊と父は羽村亮禅師に教えられた通り、トリカブトの根で目を洗っていると不思議にも次第に目が快くなり、
まるで見えなかった父親も近頃では人の顔がおぼろにではあったが見えるようになった。
 六十年振りに光明を見出した父親は涙を流して喜んだ。
坊の目も大分みえるようになり表を歩くのにはほとんど不自由を感じないまでになっていた。
 坊は付け木売りに出かけるときも薬を肌身離さず持ち歩いた。
 父親の目が少し見えるようになって間もない明治三十四年の六月坊の父親は浜で幸太郎と遊んでいるとき、
急に体の具合がおかしくなりそのまま床についてしまった。
医者の診断では卒中ということで、その晩から意識を失い大きなイビキをかき出した。
 坊は付け木売りに寿都へ出かけて留守だったので留松夫婦が付ききりで看病していた。


寿都の町はニシン景気の後始末でにぎわっていたが、
どういうものか付け木はさっぱり売れなかった。
 樽岸の池田漁場は坊にとっていいお得意さんだったので、
そこを訪ねると当主は岩内へ出かけて留守だったが優しいおかみさんがいて付け木を買ってくれ、
ご飯をご馳走して納屋に泊めてくれた。
 その晩は北風が烈しく吹きつのり、いつもは穏やかな樽岸の海が怒り狂ったように波浪を巻き上げていた。
 納屋の屋根に風がからみ、ミシミシと音を立てて納屋がゆれていた。
この風と、裏の浜に打ちよせる怒涛の音が気になって坊は眠ることができず、何回となく寝返りを打った。
 明け方になってやっとまどろんだ坊は妙な夢を見た。
 前に、松田邏卒の本服を佐女川神社に祈願したときに現れた白髪の老人が、
今度は木古内の願応寺というお寺の門に立っていた。
 よく見ると、その老人は羽村亮禅師であった。
 驚いて話しかけようとしたが声にならず、駆け寄ろうとしても動くことができなかった。
 すると老師は杖を上げて坊を手招きし「木古内へ急いで帰れ」といい、
合掌したまま寺の本堂に吸い込まれてしまった。
 目をさました坊は、全身にビッショリ冷や汗をかいていた。
“なにか家に変わったことでもあったのでは・・・・・”そう思うと胸が早鐘を突いたようにドキドキしてきた。 
夜来の風はピタリとおさまり、東の空には太陽がキラキラと輝きだした。
坊は大急ぎで着物を着、顔を洗っておかみさんに挨拶をしてから今朝見た夢の話をした。
「・・・・・そんなわけで、家になにか変わったことがあるような気がするしけ、
すぐに出立させてもらいます。どうもおおきね有難うございました」
 おかみさんは坊を押しとどめて「飲まず食わずでいれるものではなし、一日半はかかるのだから」と、
大急ぎで握り飯を作ってくれたうえ、船賃まで手に握らせてくれた。
有難涙にくれた坊は、寿都の浜から江差に向かう便船を見つけてさっそく乗り込んだ。
 坊が木古内の家へたどり着いたのは翌日の夕方だった。
 父親はときどきイビキをやめると友吉の名を呼び、また深い眠りに入っていた。
 坊は家に飛び込むなりすべてを察した。
イワシカゴを背にしたまま父親の枕元に駆け寄り、しっかりと父親の手を握って泣きながら
「おど、しっかりしてけろ」と叫んだ。
 この声で目をさました父親は両目を見開き、ニッコリと笑った。
 そしてなにかいおうとしたが、口が動いただけで言葉にはならなかった。
坊は子供のように激しく泣きじゃくったが、父親は二度と目を開こうとはしなかった。
 坊が帰り着いて間もなく父親は安らかな表情で瞑府へ旅立って行った。
親孝行だった坊は、命よりも大切な父親を失ってひどく悲しんだ。
 その落胆ぶりははた目にも気の毒なほどで、野辺の送りを済ませるまで一睡もせず泣き通していた。
「おどは目も少し見えるようになったし、俺たちの暮らしもなんぼかあずましく(楽に)なって、
これから少しでも楽をしてもらうべと思っていたのに・・・・・」と、
他人の慰めの言葉にも耳をかさず、棺桶にしがみついて泣きくずれる姿は人々の涙を誘わずにはおかなかった。
 葬式が済んだ後も放心状態で仕事も手につかず、一人ぽつねんと坐って涙にくれていた。
 幼くして母と死に別れたあと、目の不自由な父親が二人の子供の面倒を見、
食べる者が無くなれば自分で物乞いしてまで二人の子供を養ってくれた。
しかも時々自分の食事を抜いていたことを坊は子供心にも知っている。
そんな慈愛深い父親だったからこそ、坊は働けるようになってから美味しい物をもらうと、
自分が食べなくても父親の元に持ち帰っていたのである。
 坊は付け木を売りあるいていても父親がいるからこそ励みも出たし元気も出て遠くまで歩けたのであった。
 坊にとって父親は掛け替えのない人であった。
極端にいえば、坊は父親があっての坊であり、父親を喪ったい
までは生きる気力も、付け木を売り歩く元気も失ってしまったのである。
 坊は、毎日浜に出てポカンと海を眺めていた。
“死にたい。もうこの世の中に望みはない。あの世へ行っておどと一緒に暮らしたい”と、
真剣に考えるようになっていた。
 坊は次第にやせ衰え、病人のようになって終日家に閉じこもることが多くなった。
 弟の留松夫婦が心配して食べ物を運んでくれるのだが、坊は箸をつけようともしなかった。
「あんちゃ、一体どうしたんだや。死んだ人のことをいつまで考えたところでどうなるものでもねんべ。
いまに自分のからだが参ってしまうど」
「俺のことァ心配するな」
「心配するなたって心配しないでいられるがや。俺とあんちゃは二人きりの兄弟でねえか。
そのあんちゃにもしものことがあったらどうするや」
「たとえ、俺が死んでもおめえにはカカも子供もいる・・・・・」
「カカ子供はあっても兄弟はあんちゃ、おめえ一人だど」と、弟の留松は涙に濡れた顔を上げて
「あんちゃ、この木古内にいるから気持ちが晴れねえんだ。一つ思いきって内地さ行ってみたらどうだ」
「内地?」
「そうだ、南部の卯之吉さんのところへよ」
「・・・・・南部か」
 坊の目に始めて生気のようなものが出た。
「海を渡って、南部の花巻さ行くのか・・・・・」
 と、つぶやく坊の胸には何やら期するものがあるようであった。
 坊は生きる望みを失ってはいたが、たとえ死を選ぶにしても、
これまで世話になった人たちにせめて一目合いそれとなく暇乞いをして歩きたいと思っていた。
 そこで、弟の留松のすすめに従って、まず南部にいる卯之吉とトシ夫婦のところへ手紙を出した。
 手紙をかいてくれた“友綱”の主人も喜んで
「いつまでくよくよしていてもしようがねぇ。死んだおどが生き返るわけでなし、
お前が泣きべそをかいていいればおども浮かばれねぇ。トシのところへ行ってしばらく遊んで来るがいい」
「おおきね、どうも」
「行くときにはみやげ物を支度するから大儀でも持って行ってくれや。
それからな。体の大きい、角力取りに向く若い者がいたら手紙で教えてくれるように頼んでくれよ。
いい掘り出し者が見つかったら俺も飛んで行くからってな」
“友綱”の主人は相も変わらず相撲気ちがいで、
体の大きい若い者がいると聞けば、どんな遠いところへでもすっ飛んで行った。


話しは変わるが、この男が後に瀬棚から見つけた若い者が、大正年間に活躍した名大関三杉磯で、
この三杉磯が引退後に年寄り花籠を襲名。弟子を養成して角界に貢献している。
 花籠の名称は大ノ海が継ぎ、
やがてこの部屋から横綱若ノ花(今の二子山親方)若ノ海(今の年寄音羽山)をはじめ、
いわゆる七若時代と呼ばれた全盛期を迎える。
先頃引退したばかりの大豪は前名が若三杉で、この名は先代親方の現役時代のしこ名三杉磯から取ったものである。
 後で書くが、木古内の坊が世をはかなんで、死のうと思いつめているとき、
坊を立て直らしてくれた人が福島に来ていた山伏でこの縁から坊は、その後たびたび福島を訪れているが、
その福島からは戦後の名力士千代ノ山(九重)が出ているし、
坊が恩人と仰いでいた上磯の有川に住む南木家の縁戚からは千代ノ山の後輩で、
連続出場の記録を持つ大晃(阿武ノ松)が出ている。
 そして坊の住んだ木古内からは禊鳳が出ているのも不思議な縁といわねばならない。
ついでだが“友綱”という年寄名は古くからあり、
函館出身の小兵小結巴潟が引退後に高島を襲名して大関三根山をはじめ数多くの名力士を育て上げ、
のちその高島を三根山に譲って、自分は友綱を襲名、現在に至っている。
友綱部屋とは一門関係にある高島部屋(元大関三根山)の部屋には道南出身者が多く、
特に大野町の大豊、秋元など有望力士が出ているのも面白い。
 とにかく木古内の坊は六尺豊かな大男で、“友綱”の主人が目さえよかったら相撲取りにしたかった。
大関はおろか横綱にもなれる素質を持っているのに」と嘆息したのは確かだから、
坊という人物は生まれながらにして相撲界とは縁が深かったのかも知れない。
それはさておき、卯之吉夫婦から「すぐ来い」という返事を受取った坊は、
小ざっぱりしたなりになって函館の仲浜町から対岸の青森県下北郡佐井村へ行く帆船に便乗させてもらった。
 津軽海峡の真ン中へ出ると、青黒い海の流れが急に激しくなり、函館山がいままで見たこともない背中を見せていた。
 視力が大分直って、遠景を見ることが出来るようになっていた坊は思わず山の姿に見とれていたがそのとき、
背中を小づく者がいるので振返ってみると山伏姿の男がうしろでニコニコ笑っていた。 
 坊は人見知りをするたちなので赤くなってもじもじすると、山伏は人なつっこい笑いを浮かべて
「お前さんは木古内の坊と呼ばれている人だね」
「ンだ」
「津軽の海を渡って、一体どこへ行きなさる。見れば付け木を背負っている風でもなし・・・・・」
「あい、南部の花巻まで・・・・・」
「ほう。知りあいでもあるのかね」
「ンだ」
「そういえばお前さん。ててごを亡くされたそうだな」
「ててごって、おどのことかな」
「そう。ずい分孝養を尽くしたと聞いているが、気の毒なことをしたのう」
 六十歳は越えているらしい山伏はやさしい目で、坊をいたわるように見つめた。
 山伏は越後三山の一つ、羽黒山の修験者で白鳥玄道といった。
 この玄道は亀田郷の代官を世襲した白鳥孫二郎の末裔(子孫)といわれ、
幼いときから羽黒山で修行を積んでいたが、十年ほど前から北海道に渡り、各地に羽黒大権現を勧請して歩いた。
 やがて、福島の白符神社の裏に庵を結び(住まいを建てる)夏は千軒岳に登って仙人のような暮らしをしたり、
近在を歩いて行乞(旅をしながら物もらいする)したり祈祷することもあった。
 玄道坊は羽黒山に帰る途中に、青森県北津軽郡相内の阿吽寺跡を訪ねるつもりだった。
 山伏の玄道坊は親しげに坊に話しかけたが、口べたな坊は相づちを打つだけで、自分からは話しかけようとしなかった。
 やがて、船は大間港へ着き、船の客はぞろぞろ降り立った。
 坊は、南部の大畑から野辺地へ抜ける海岸沿いの道を一人で歩いていたが、
大兵(大男)で足が達者な坊にも増して、小柄な玄道坊は驚くほど足早やで、
背にした笈(行脚僧や修験者が仏具・衣類・食料などを入れる箱)を揺り動かしながらたちまち坊に追いついて肩を並べた。
「旅なれている人だけあって足が早いのう」坊は振り向きもせず黙々と足を運んだ。
「お前さんの顔を船でよく見ていたのじゃが、どうも腑に落ちんことがある」
「・・・・・」
「お前さんにはどうも死神がついてるみたいじゃ・・・・・」
 坊は答えない。
「ててごに死なれて生きる望みを失っているのではないかな。南部へ行くというのも
実はこの世の暇乞いで、お前さんは木古内へ帰らずに自殺する気ではないのか・・・・・」
 心の奥を見すかすようなこの一言に、坊は思わず足をとめた。
「山伏さん。そう見えるかね」
「うむ。尋常の人相ではない。死を思いつめている人間の顔じゃ。
天真爛漫(むじゃきなこと)だったお前さんのあの底抜けに明るい顔が一面に曇っておる。
しかも双の目尻には死相が立っているのじゃ」
 坊は無言で道傍の朽木に腰をおろした。山伏の玄道坊も黙ってその隣に座った。
 二人は暫く無言でいたが、やがて坊は両掌で顔を覆い、子供のように泣きじゃくった。
 玄道坊は、坊が泣きやむのを待って静かに肩を叩き
「お前さんは無類の孝行者じゃから、ててごを失って世の中がいやになった気持はよくわかる。
けれども人間には天寿というものがあってな、自分勝手に死ぬことは許されないのじゃよ。
自分で自分を死なすということは、とりもなおさず自分が自分を殺すことになるのじゃ。
赤の他人を殺すも、自分を殺すも帰するところは一緒のこと・・・・・。わかるかねお前さん」
 坊は黙っていた。
「人を殺すのはよくないことだというのはわかるな」
坊はコックリうなずいた。
「それがわかるなら自分を殺すのも悪いことだという意味がわかるはずじゃが・・・・・」
「そ、そんなら俺ァ一体どうすればいいんだ」
 再び泣きじゃくる坊を静かに見つめていた玄道坊は
「これからは世の中に恩返しをするために生きるのじゃよ」
「恩返し?」
「そう。お前さんたち親子は世の中の人々の情によってこれまで生きて来られたはず・・・・・
ててごが亡くなったいま、あとはお前さん一人が口すぎすればすむのじゃから付け木を安く売り歩いて、
世間の方々に喜んでもらうことじゃ。
そして世間さまにもご恩返ししながら静かに天寿の尽きるのを待つがよい・・・・・」
 玄道坊の、この一言が鋭く坊の胸を打った。

 “いままでの恩返しに付け木を安く売って世間の人に喜んでもらう・・・・・
 そうだ、これなら死んだおど(父親)もきっと喜んでくれるにちがいない”
 坊はとたんに目を生き生きと輝かせて立ち上がった
「山伏さんおおきねどうも。俺ァ死ぬのやめたどッ」と、叩きつけるように叫ぶと、
いままでとは人が変わったように明るい顔で足早やに歩き出した。
その後から玄道坊がニコニコしながら歩いて行くのだった。
 羽黒山の修験者・白鳥玄道坊のおしえで迷いからさめた木古内の坊は、
元気な足取りで花巻在大川村の佐藤卯之吉を訪ねた。
 手紙で坊が訪ねて来ることを知っていたのだが、
現実に坊が姿を見せたとき、トシはいきなり飛び出して来て坊の胸倉に取りすがり子供のように抱きついた。
 坊も、そして、トシのうしろの卯之吉も泣いた。
 坊が、父親を失った前後のいきさつをとつとつと語るのを聞いて
卯之吉夫婦は何回も目頭を押さえた。
「友さん。おどが死んだとき、どうして知らせてくれなかったのさ。
水臭いでねえの。判っていればせめて私だけでも葬式に出かけたのに・・・・・」
「すまねえ。有難え・・・。したども知らせれば余計な心配かけた上に手間ひまもかかると思ってよ。
それでも付け木屋のヤマチの親方だの友綱の大将が面倒みてくれてなんとか野辺送りはすませたてば・・・・・。
ンだ香典ずっぱり(たくさん)送ってもらって、おおきねどうも・・・・・」
 その夜は遅くまで木古内の話しに花が咲いた。
 卯之吉は亡父が残してくれた杉林の一部を処分して製材工場を建て、
十人余りの人を使って“親方”と呼ばれる身分になっていた。
 友吉がやって来るというので、早速杉柾をつくり、その柾に硫黄を塗り、付け木を作って用意していた。
 坊は次の日からその付け木を背負い、近在を売り歩いた。
 六尺近い大男で、しかも顔にアバタ(でこぼこ)のある、いかめしいイガ栗坊主の男が背中に大きなイワシ籠を背負い、
両手に束ねた付け木をぶら下げて歩く姿はたちまち近在の名物になった。
 しかも、その大男の売り歩く付け木は品物がよい上に滅法安いと来ているので争って買い求める人が多かった。


坊は三ヵ月余り滞在して初夏の風がかおる季節に木古内へ帰った。
 世間にご恩返しをしようというつもりなので、坊は付け木を出来るだけ安く売り歩いた。
 おどに死なれてから半年余りで久しぶりに函館へ出、
カベ穴の藤吉親方のところへ顔を出した。
「おう友さんか久しかったな。父親に死なれて塩垂れておったそうだが元気になってよかったなあ」
 坊は上がり込んで昼飯を馳走になりながらおどに死なれてから立ち直るまでの話をした。
 どもりで口下手だったが、坊の話には真実がこもっていたので
藤吉たちも感動して何回となく涙を拭いた。
「いいところに気がついた山伏さんのいう通り、
これからは一人口すぎなんだからせいぜい付け木を安く売って世間の皆さんに喜んでもらうことだよ」
 藤吉は話を変えて
「ところで友さん。松田の旦那が小樽警察へ転勤になったのを知ってるかね」
「えッ・・・・・松田の旦那が?」
「やっぱり知らなかったのか。先月のはじめに出世して小樽警察詰めになったんだ。
お前さん、しばらく姿を見せなかったものだから知らせようもなくってな。
くれぐれもよろしくいっていたよ」
 坊は真ッ青になると、みるみる涙をながして
「俺ァ花巻に行っている間の出来ごとだ。ああ・・・・・どうしたらよかべ・・・・・」
「どうにも、こうにも、もう発ってしまったんだから・・・・・」
「俺ァどこをどうしても送らねばならなかったんだ・・・・・
義理にはずれたことをしてしまったてば」と、声を上げて泣き出した。
 藤吉夫婦がなだめてもすかしても坊は泣きやまなかった。
 やがて濡れた顔を上げた坊は「小樽って、どの辺だべ・・・・・」と、思い詰めた顔でたずねた。
「それは遠いよ。お前さん一番遠くでどこまで行ったことあるね」
「寿都までだども」
「ふむ。寿都まで行ったならもうすぐだよ。
寿都から二日も歩けば小樽だし、寿都の手前の瀬棚まで行けば船便もあるはずだ」
「よしッ、俺ァ行って来る。小樽でもどこでも、付け木売りながら俺ァ行って来るどッ」
 叫ぶより早く、挨拶もそこそこに坊は藤吉の家を飛び出していた。
 坊は小樽に向けて旅立った。
背中には相変わらずイワシ籠を背負って付け木をどっさり詰め込んでいたが、
付け木の下には山ブドウをしょうちゅうに漬け込んだブドウ酒が二升忍ばせてあった。
 このブドウ酒は、前の年の秋に坊が、知内の千軒岳の麓まで出かけて穫ってきたもので、
付け木屋のヤマチの親方をはじめ、世話になっている人たちへ坊が毎年届けていたものだった。
 木古内から江差へ抜ける山道を歩いていた坊がやがて江差へ後二里というあたりまで来ると
陽が西の方に傾いて来た。
 お陽様の行方を仰いでから急ぎ足になって二、三歩踏み出したとき、
坊はなにやら得体の知れぬ物を踏みつけた。
首をかしげながら拾いあげてみると、それは邏紗ごしらえの立派な財布だった。
 坊は恐ろしい物にでも触れるように首をすくめたが、中を見ようともせずに、懐にねじ込むと、そのまま歩き出した。
江差へ着いたら警察に届けるつもりで・・・・・。
しばらくして、もう江差の町へ入るというあたりへ差しかかると向こうから旅商人風の男が前かがみになり、
なにか物を探すように急ぎ足で歩いて来るのに出会った。
 立ちどまった坊を見て、その人も足をとめた。声をかけたのは坊の方であった。
「なにか・・・・・」
すると、男は早口で
「財布を落としてしまって・・・・・」と、そう白(あおじろい)な顔で答えた。
 坊は、さっき拾ったばかりの財布を懐から取り出して、男の目の前に突き出した。
「あッ、こ、これだ。この財布です・・・・・」
 みるみる喜びの表情を顔一杯に浮かべて
「ど、どこでこの財布を・・・・・」
「上ノ国寄りの一本杉のあたりで拾った・・・・・」
「それはそれは」
 男は財布を押し頂いて、なんべんも頭を下げた。
 五十前後の年配で、言葉には関西なまりがあった。
 聞くところによると京都の仏具商で、年に二回、東北北海道の寺院を回り、
寺で使う祭壇をはじめ坊さんが着る袈裟や衣まで注文をとって歩くのが商売だという。
 今年も春早々に北海道へやって来て奥地を回り、注文を取ったり集金をしたりして、
最後に江差へやって来たのだという。
 江差の法華寺に着いたとき、懐にしまい込んでいたはずの財布がなくなっているのに気づき、
探しても無駄とは思ったが、
どうしてもあきらめきれず途中で一度休んだ湯の岱の茶店まで戻るつもりだった。
「茶店で休んだときか、さもなければ上ノ国の一本杉のあたりで急に腹具合が悪くなって、
急いで道ばたで用を足したときに落としたに違いないと思っておりました。
案の定でしたが、それにしてもあんたさんのような正直な方に拾って頂いてなんとお礼を申し上げてよいかわかりません。
金は四百円足らずでしたが、中には方々のお寺から頂いた注文書が入っておりますので、
もしこの財布が見つからなければもう一度北海道中を回らなければなりませんでしたよ。本当に有難う存じました」
金剛屋宇平と名のるこの旅商人は何回も頭を下げてから、
くだんの財布の中を改め、何枚かの紙幣を取り出した。
「ほんの気持ちだけですが、どうかこれをお納め下さい」
見ると、坊が今まで見たこともないような大きな札であった。
 坊は、しかしかぶりを振った。
「拾った物を、落とした人に返すのは当り前のことだ。俺ァお礼をもらいたくて拾ったんではねえ」
 金剛屋はびっくりして坊の顔をまじまじと眺めた。
「それにしても欲のない・・・・・。とにかく私の気がすみませんから受け取って下さいまし・・・・・」
「いらねえ。俺ァなんといわれても受け取らねえど」
「・・・・・?すると、お礼の金額が少ないとでも」
坊は一歩退って
「見ればあんたはジンピ(人品)のいい人だども、気持ちはオラド(われわれ)貧乏人並みだなあ。
俺はいらねえからいらねえといってるまでだ。とにかく俺ァいらねえし先を急がねばならねえしけ・・・・・」と、
金剛屋を無視して大股に歩き出した。
 あわてて後を追いかけて来た金剛屋が
「もし、そうおっしゃらずにどうかこの金を納めてやって下さい。私の気持ちがすみませんから・・・・・」
 坊はものもいわずにのっしのっしと巨体を運んだ。
「もし、お願いです」
 と、さらに追いかけて来る金剛屋に、坊はうしろを振り向きもせずにいった。
「そんなに呉れたければ、
俺よりも困っている人や日に三度の口過ぎも出来ない人がその辺にいくらでもいるから、
その人たちにやったら気がすむべよ」
 この一言に打たれたのか金剛屋はしばらく坊のうしろ姿を眺めていたが
やがて掌を合わせて遠ざかって行くその姿を拝むのであった。
 沈みかけた夕陽がキラキラとまぶしく輝いていた。
足早に去って行く坊の姿はまるで後光を背負った仏像のように見えた。
 うしろ姿を伏し拝んでいる金剛屋を、振り向きもせずに、
道を急いだ坊は、江差海岸を北上して三日目の朝には寿都に着いた。
 折よく、小樽へ出る便船があったので乗せてもらい、その日のうちに小樽港へ着いた。
 訪ねる水上署は岸壁のすぐ近くで、松田警部補はちょうど勤務を終えて帰宅するところだった。
 前ぶれもなく訪ねて来た坊の姿に松田はびっくりしてしまった。
「おう・・・・・」
「だ、旦那さん」
 二人はしっかりと手を握り合った。
なにもいわなくても二人の胸の内には通じ合うものがあった。
ましてや涙ぐんでいる坊の瞳には万感がこめられていることが松田には痛いほどわかった。
 坊は、その夜、松田の家に泊まって、珍しくよくしゃべった。
「すると、旦那さんは後一年足らずで・・・・・」
「そうだ。役所をやめなければならない。儂も年だからな。
やめたら函館に帰って、あそこでのんびり暮らすことにしたよ。子供たちも大きくなったんで老後の心配もないし」
「函館で暮らすに限るてば、俺も楽しみに待っているしけ」
「ただ、気になるのは・・・・・」
 と、松田は晩酌の盃を置いて、
「去年の正月に旭川の七師団に入った二番目の伜のことだ。
知ってのように日本はロシアと戦わねばならないかも知れん。
そうなればなにせロシアは強国だから我が軍にも相当の犠牲が出るだろう」
「ギセイ?」
「戦死者のことだよ。先ずうちの伜なども無事に帰って来るとは思えないな。
ま儂は男だから覚悟もできているが、家内は心配のし通しで・・・・・」
 日露間の風雲が急なことは坊も知っていた。
ロシアがどこにあってどんな国なのか、どうして戦争になりそうなのか、そんなことは一切わからなかったが、
とにかく戦争になりそうな雲行きで、
しかもそれが十年前の日清戦争のときよりもはるかに緊迫した空気であることだけは肌で感じ取っていた。
「俺が代わるにいいものならなあ。俺ァいつ死んでものごろく(残り惜しい)ねえ体だども・・・。世の中はうまくいかねもんだでば」
「バカなこというもんじゃない。身体は親からもらったもの。その体を傷つけるのさえ親不幸の一つとされているくらいだ。
せっかく死ぬのを思いとどまったのだから長生きしなければダメだよ」
「俺ァ死なねでよかった。あのとき山伏さんと行き会って本当によかった。もう少しで親不孝するところであったてば」
「そうとも。孝行者で通っていたお前が、そんな不了見を起こしてどうする。
が、まあこうして元気な姿を見せてくれたのはなによりだ。
来年の春には退官して函館に帰るが、それまでにまた小樽へ来てくれよ」


木古内に帰った坊は再び付け木売りの生活に戻り、その年の秋にはまた南部の花巻に渡った。
そしてこの年は花巻で越年し春の三月に木古内へ帰った。
 小樽水上署を退官した松田警部補は函館の宝町に引っ越し、代書屋を開業した。
 坊は函館へ出るたびに松田のところと、カベ穴の藤吉の家を訪ねた。
 日露間の風雲はますます急を告げ、五月には藤吉の長男が召集令状を受けた。
 藤吉の長男功吉は四年前に兵役を終わり、結婚して男の子が一人いた。
 松田にもまして、藤吉は息子のことが心配だった。
 この年の七月、ついに両国は戦争に突入した。
 旭川にいた松田の息子清吾も、
召集された藤吉の長男功吉も共に動員されて戦地に向かった。
 戦局は日本軍にとって有利に展開していたが、
松田のいった通り露国軍も強大だったので我が軍にもおびただしい犠牲者が出ていた。
 日本とロシアは熾烈な戦闘を開始したが、
北海道の草深い田舎にも国運を賭した闘いの緊迫感がひしひしと、波のように押し寄せていた。
 戦争とは無縁の存在だった木古内の坊は、ふだんと変わりなく付け木売りをしていたが、
一人暮らしの気やすさで近郊近在を売り歩くだけで生活は十分成り立った。
 坊はいつも好物の黒砂糖をフトコロに入れていて、
泣いたり、無心に道端で遊んでいる子供を見ると黒砂糖をくれてやった。
 体が大きく、しかもアバタの残った顔なので、ちょっと見には恐ろしいはずなのだが、
坊の象のように細い目が無邪気な子供たちには優しい人に見えるらしく
顔なじみになった子供たちの中には坊の姿を見ると駈け寄って来て黒砂糖をねだる子も少なくはなかった。
 戦局の進展と共に日も経って、明治三十七年も暮れた。
 坊は大晦日の三十一日、願応寺の除夜の鐘を背にして佐女川神社へお参りに出かけた。
 手織木綿の着物に盲縞のもも引きという小ざっぱりしたなり(服装)でお参りをすませた後、
坊は函館に向かった。
 珍しく雪の少ない年だったが、寒気はりんれつ、肌を刺すようであった。
元旦なのでこまわし船は休みだったが、
坊は木古内から十三里(五十二キロb)の道を歩くつもりだった。
 上磯の矢不来峠で初日をおがみゆったりとした足取りで峠を下った。
朝のうちに上磯の川原町に住む南木回漕店を訪ねて新年の挨拶をした。
 ここでぞうに餅を馳走になり、つぎには追分の長尾家へ挨拶に寄った。
函館へ着いてカベ穴の藤吉のところへ顔を出したときはもう夜になっていた。
「おうおう友さん。よく来てくれたな。毎年毎年律気なものだ。
ま、明けましておめでとう・・・。さ、上がって火のそばに寄ってくれ」
「去年は南部で正月をして元日の挨拶に来られなかったから、ことしはなんとしても来たいと思って……」
 坊は大きな体を囲炉裏の隅に寄せた。
 晩飯の後、藤吉は戦地から来た息子の手紙を取り出して
「この手紙で、友さんによろしくとせがれのやつが書いて来てるよ」
「それはそれは。俺ァ字が見えね(読めない)しけにさっぱりわからねども、よくまあ俺さまで・・・」
「うむ、あいつは小さいとき、よく友さんの肩車に乗せてもらったからなあ」
「早いもんだねえ親方。あれからもう二十年余りも経ってるんだよ」
「そうとも、お互いに若いつもりでいるが、年だよ・・・。ところで友さんは幾つになったのかね」
「年かね、これでも四十一だます」
「なに、四十を越えたって?本当かいずい分若いなあ。三十そこそこにしか見えねえ」
「俺ァ馬鹿だから年を取らねえ」
「そんな・・・」と、藤吉のかみさんもにじり寄って来て
「本当に若いねえ。あんたは気持ちが純だからいつまでも若いんですよ」
「純?」
「そう、真面目で正直だから」
「純だったってつまるところは馬鹿と変わりなかべさ」
 一家は元日にふさわしく、声を立て大笑いした。坊は笑いながら功吉の手紙を拾って握りしめた。
 藤吉は、その手紙に目をやりながら
「なにもかも目出たい正月だが、これで、ここに功吉さえいてくれたらなあ」
 その言葉に目をしばたたくかみさんの顔からはせっぱ詰まった不安の色が読み取れたのだった。
 函館から帰った坊は、翌日、未明に起きて佐女川神社へ参籠した。
 冬には珍しく暖気な日だったがそれでも寒気はキリキリと肌を刺すようであった。
 坊は二十年近い昔、松田邏卒の病気全快の祈願をこめたときと同様に
神社の前の海に飛び込んで体を洗ってからお堂に籠もった。
「佐女川の神様、どうか松田さんの息子の清吾さんと高橋藤吉さんの息子の功吉さんに手柄を立てさせてやって下さい。
そして、どうか無事に凱旋させてやって下さい。
どうかどうかお願い申します。そのためにはこの私の寿命を縮めてもよろしゅうございます。
どうぞどうぞよろしくお願い申します。」
 坊は一心不乱に祈願をこめお天道様が昇り切った頃、家に帰った。
 坊は翌日も、そのまた翌日も佐女川神社にお参りした。三・七・二十一日祈願をこめるつもりだった。


満州の荒野に相対した日露両軍は激しい戦火を交わしていたが、
日本軍は寡兵よく、強力な露軍を随所に撃破して意気大いに揚がっていた。
 両軍は次第に戦線を整理して、奉天(中国)を中心に決戦の態勢をとりつつあった。
 第三軍に所属していた高橋巧吉上等兵は、
あすは節分という二月二日の夜、瀬野小隊長を中心とする二十二名の斥候兵に選ばれ、
敵中深く入り込んでいた。
山の稜線の向こうには重火器を持った敵兵団が強固な陣地を築いているはずで、
その状況を確かめるのが斥候兵の任務であった。
 満州の寒さは、北海道のそれを凌ぐものがあり、この夜も確実に零下二十度は超えていた。
 敏捷さを要求される斥候兵の性質上、防寒外とうを脱いでいたので寒さは骨まで突き刺すようであった。
 約三時間にわたる行動の結果、
敵が稜線の東側に移動しているのを確認した斥候隊は、勇躍帰路についた。 
「やれやれ」という気のゆるみからか、だれかが敵の仕掛けた鉄条網に触れた途端に
敵が誇る新鋭兵器機関銃が猛烈に火を吹き出した。
 高橋功吉は左大腿部に焼火著を突き立てられたような痛みを感じ夢中で走り出したが、
やがて左肩にもう一弾を叩き込まれてその場にこんとうしてしまった。
 敵、味方の怒号、喚声、そして間断なく打ち続けられている機関銃の音を夢うつつに聞いているうち、
いつの間にか意識を失ってしまった。
 やがて、気がついた功吉は自分が荒野の真ッただ中に一人だけ放り出されていることを知った。
痛む足と肩を押さえてみると肩の方は対したことがなく、
血も止まっていたが大腿部からはまだ血が滴り落ちていた。
 ゲートルで傷口を縛りなおした功吉は、とにかく歩きはじめた。
 方角を知るにも星一つない暗夜のため、
自分がどこで、味方の陣地がどっちなのかまるで見当がつかない。
 黙っていれば凍え死にするほかないので、とにかく盲滅法歩き出した。
 すると、突然十メートルほど先に提灯の明かりが見えたのである・・・・・
しかも不思議なことに、その提灯は自分の家のものと同じで、“高藤”の印がついていた。
 “まさか”と、何回も目をこすってみたが、その提灯はまぎれもなく我が家のもので、
自分がいつも使っていたものに違いなかった。
出血のため意識がうすれようとするのを必死にこらえながら、巧吉はともかくその提灯の後を追った。
誰かが持っているのか、その提灯は巧吉を差し招くように少しずつ動いて行く。
 二時間余りも歩いたと思う頃東の空が白々と明け出し、提灯の明かりも消えた。
・・・・・そのとき「だれかッ」という鋭い歩哨の誰何が飛んで来た。
 巧吉は「あッ・・・・・」とわけの判らぬ呼び声を上げてその場に崩れ落ちていた。
そこは巧吉たちの所属部隊であった。
そして斥候隊で隊に帰り着いたのは高橋巧吉上等兵ただ一人だったのである。


このころ、木古内の佐女川神社では二十一日目の満願を迎える坊が、
いつもより早く起き出して必死に祈願をこめていたのであった。
 松田清吾は、衛生兵だった。やはり第七師団だったので、これも第三軍に属していた。
 木古内の坊が、佐女川神社に必死の祈願をこめていた前後には別に変わったこともなく、
旅順攻撃隊の背後にあって傷病兵の介抱に当たっていた。
 乃木将軍の指揮で猛攻につぐ猛攻を重ねた日本軍はおびただしい死傷が出た。
 それでもバルチック隊が旅順へ到着する前に攻略が成功、
旅順は開城して敵将ステッセルと乃木将軍が水師営で会見の運びとなった。 
旅順の開城が迫ったある晩、松田清吾は妙な夢を見た。
数知れぬほど多勢のロシア兵が野菜の山に群がり寄っている夢である。
 翌朝、直属上官の小泉庄八という若い薬剤官に、この話をしたところ、
小泉中尉は途端に頬を輝かせ、司令部へ駆け込んで行った。
 三日ほどすると第三軍所属の輜重隊は馬車や大八車に野菜を山のように積んでやって来た。
 小泉中尉はニコニコして松田一等兵にいった。
「お前は全く素晴らしい夢を見てくれたよ」
「・・・・・?」
「旅順の敵兵は補給が途絶えているため黒パンと水はあるが野菜が食べられず、
ひどい栄養不足になっているのだ。
軍事探偵の情報によると、野菜不足による壊血病患者が続発しているという。
きょう我が軍が旅順へ入るときの土産はなんといっても野菜が一番。
司令部も大賛成で、野菜をしこたま用意してくれたよ」
「すると、自分が見た夢で・・・・・」
「そうとも、お前が夢を見てくれなければ私も気がつかなかった。
入城してから野菜を手配したのでは時間がかかる。その間にロシア兵の生命がどんどん失われて行くのだよ」
旅順に入った日本軍が、野菜を大量に持ち込んだおかげで、どれだけ露軍兵士の命が救われたか知れない。
 この功によって小泉中尉は功四級、松田清吾には功六級の金鵄勲章が授与されたのであった。
 敵将ステッセルをいたわった乃木大将の逸話は余りにも有名だが
一兵士と薬剤官の意見がとりあげられ野菜を敵軍に送った話しはほとんど知られていない。
 当時の日露両軍は戦火を交えてはいたが、
極めて豊かな人間性を交流させていたわけで、戦火の中で至るところにこうした挿話が遺されている。
 小泉中将と部下の松田一等卒は日露戦争が終わった後、
三千七百名に及ぶ日本軍の捕虜をウラル山麓の村に受け取りにも行っている。
 “生きて虜囚のはずかしめを受ける勿れ”などというのは日本軍国主義がはなやかになってからの話で、
当時は露軍も、そして日本軍も最善を尽くして戦った後は正々堂々と捕虜になっていたし、
それが当然のこととされていたのである。


斥候に出て、奇蹟的に味方の陣地へ辿りついた高橋巧吉上等兵は敵軍の働きを詳しく報告した後、
気を失ってそのまま野戦病院送りとなった。
傷は大したことがなく、間もなく回復したが、
この時の高橋上等兵の報告が奉天大会戦にとって貴重な資料になった。
 そして三月十日、日本軍が圧倒的な勝利をおさめたのは歴史が語る通りである。
 高橋巧吉は伍長に昇進し、これも功六級金鵄勲章を胸に飾って凱旋した。
 捕虜受け取りのため、シベリアに派遣されていた松田清吾も、
やがて赫々の武勲をみやげに、無事帰還したのであった。


宝町で代書屋を開いた松田も、
カベ穴の藤吉も出征している子供たちのために木古内の坊が
命がけの祈願をしてくれたことなど、まるで知らなかった。
 まして、小樽の回漕店に勤めている松田の長男清吾など、そんなことは知るはずもなかった。
 この清吾は凱戦後、父の跡を継いで警察官になり、
間もなく函館勤務になって室町の本署に赴任して来た。


坊は毎月のように顔を出してはいたが、
戦争が終わった翌年は春から南部へ出かけ、九月のはじめに帰って来た。
 亀田郷の八幡神社の祭礼が来ると道南はめっきり寒くなってくる。
 九月十五日の祭礼には盛大な宮相撲が行われるのがならわしで、
相撲の好きな坊は友綱の主人と二人で函館へやって来た。
 この年は、戦勝祝いもかねているので、
祭礼も盛んで、宮相撲には津軽の力士も参加するなど、近年にないにぎわいだった。
 相撲見物を終わった坊は、松田の家に一泊し、
翌日はカベ穴へ行って藤吉のところにも泊まった。
 木古内へ戻った坊は、弟の留松のところへみやげを持って行き、
しばらく話し込んでいたが、突然胴巻から金を取り出し
「留、俺が死んだらこの金で葬式出してくれよな」
「な、なんだって・・・・・縁起でもねえ」
「いやいや人間はいつ死ぬかもわからねえ」
「したがよ、鬼とも取ッ組むょンたあんちゃが、五十になるやならずで死ぬわけァねかべ」
 と、その金を押し戻そうとした。けれども坊はいつになく厳しい顔で
「そういわねえで預かって置いてけろ。
俺ァ旅から旅を歩いているしけに、いつどこで死ぬかも判らねえ。
ま、厄介でも後始末を頼むど」と、いい遺して帰っていった。
 それから一週間ばかり今金の方へ付け木売りに出かけていた坊が帰って来て、
また留松のところを訪ね、庭先に突ッ立ったままで
「留、俺あ十月の一日に死ぬど」と、いい、呆然としている留松にニッコリ笑いかけて帰って行った。
 坊は、まるで自殺でもする人のように、家の中をきちんと片づけ、身の回りの整理をはじめた。
 これを見て驚いた留松が「あんちゃ、おめえほンと気(本気)か、どうして死ぬことがわかるんだや」
「ハハハ、俺にはわかるんだ。毎ばげ(毎晩)おど(父親)が夢を見せるね。
十月の一日の晩に迎えに来るッてよ」
「そ、そったらごと、ほん(本当)になるてが。おめえ商売に歩き回って少し疲れすぎてるんでねえのか」
「なあに、体はこの通りピンピンだどもな。俺の寿命は後三日、十月の一日までだてば・・・」
「はんかくせえ。そったらごとあるはずァねえ」
「ま、あとは頼むど」と、まるで死ぬのが楽しいようにニコニコしている。
 やがて十月の一日になったが坊は
相変わらず元気で晩ご飯には油の乗った秋イワシの塩焼きをさも、うまそうに食べていた。
 留松は狐につままれたように、安心して家に帰ったが、
気になって翌朝、また坊の家を訪ねると、
坊はまるで眠ってでもいるように安らかな顔のまま床の中で息が絶えていた。
「あんちゃッ」
 留松は狂喜のように坊の体をゆり動かしたが、微笑をたたえたその顔は、とうとう目を開かなかった。
 眠るが如き大往生というが、まったくその言葉の通りで、
木古内の坊、川又友吉は明治三十九年十月一日に、丸五十年の生涯を閉じたのであった。


二日の朝、カベ穴の藤吉が、松田のところへやって来た。
 藤吉の顔を見るなり、松田の方から
「友吉のことか」と、声を掛けた。
「そ、そうだ。友さんがどうかしましたか」
「それは、私が聞きたいことだ。お前さん、なんかあったんで来たんだろう」
「いや、実はゆんべ友さんが夢枕に立って、今晩死ぬからッていとまごいに来たもんで・・・」
「お、お前さんもか。俺もだ。俺は眠っているところを友吉にゆり動かされて・・・」
 二人は顔を見合わせて息を呑んだ。
 その日の午後、二人は仲浜町からこ回し船に乗って木古内へ駆けつけた。
 夢は本当で、木古内の坊は前の晩、ひっそりと息を引き取っていたのである。
 二人は、この神様のように汚れのない付け木売りの冷たい手を取って、
子供のように声をあげて泣いた。
 木古内の坊の通夜はしめやかに行われた。
「予言者故郷に容れられず」ということばがある。
坊は別に予言者でもなんでもなかったが、
この男の人間の俗姓を超越した偉さというか、尊さというか、
そうしたものを地元の人びとは知らなかった。
“乞食暮らしから付け木売りになって、糊口をしのいだ親孝行な男”という程度の認識より持っていなかったから
通夜に集まった村人はほんの五、六人を数えるにすぎなかった。
友綱の主人を中心に思い出話しの花が咲いたとき、
付け木を卸していたヤマイチ商店の今泉義太郎が言った。
「坊は、以前に松田邏卒さんの病気平癒を祈願して佐女川神社にお籠もりしておったな。
なんでお祈りしていたのか、だれにも言わなかったという話だが、留松、お前なら知っているだろう」
 坊の弟の留松は首を振って
「俺も聞いてみたどもニヤニヤ笑っただけでなんにも言わなかった」
 この話を聞いて松田も、そして、藤吉もピンと来るものがあった。
 “そうか、そうだったのか。坊はきっとうちの伜たちの無事凱旋を祈願してくれたのに違いない”
 やがて松田が声を上げて泣き出し藤吉もしゃくり上げるに及んで
ようやく通夜の客たちも坊が佐女川神社に参籠した意味がのみ込めたのであった。
 松田と藤吉はこもごも伜たちが奇蹟を受けて無事に凱旋したことをみんなに語った。
期せずして一同の間から
「全く神様のような男だったなあ」という声がもれ、やがて清らかなしのび泣きの声に変わっていった。
 野辺の送りが行われた十月三日はよく晴れた日だった。風もなく鳶が空に舞っていた。
 坊の葬列の後に、近所の子供たちが続いた。
 坊から黒砂糖をもらったことのある子供達が、淋しそうな顔で、何時までも葬列の後を慕って来た。
 だれかがふと口ずさんだ “シズ家のコンビ カラスにダンゴ” 
それをききつけて、だれからともなく、みんなが唱和した。
  “シズ家のコンビ カラスにダンゴ”
 留松は、そのはやし言葉を聞きながら瞼を濡らし
“あンちゃ、おめえは他人の命と引き換えに自分の命を縮めたんだなあ”と、
なん回もつぶやくのであった。


大阪の豪商、鴻池家の分家筋に当たる材木商、
川又友右衛門は四十を過ぎたのに子供がなかった。
 信心深い友右衛門夫婦は天満宮に祈願をこめていたが、
ある夜、“汝らの願いを聞き届け、男の子を授ける。
ただし、その子供は世のため人のため家産を蕩尽するであろう”と告げたのであった。
 夫婦がそろって、同じ夜に同じ夢を見たので二人はこの奇蹟に、手を取って喜び合い、
たとえ家産を蕩尽しようとも我が子が世のため人のために使い果たす以上なんの心配があろうと、
いよいよ熱心に祈願を続けた。
 間もなく身ごもった妻の登勢は、十月十日の後、玉のような男の子を産んだ。
 狂喜した二郎右衛門は、その子を友吉と名づけたが、
どうしたわけか友吉はいつまでも右手を握ったままでいくら開かせようとしても開かないのであった。
 友吉が生まれて三ヵ月ほどしてから、次郎右衛門は天満宮にお礼の意味で大幔幕一張りを寄進することになり、
かねて懇意にしていた京都の神仏具商金剛屋宇平を招いた。
 話しのついでに、一粒種の友吉が、どういうわけか右手を開かず、
医者にも診せたがどうしても原因がわからないので困っているという話をした。
 二、三日後、金剛屋は所用で嵯峨の天竜寺を訪ねたところ、
九十歳でなおカクシャクとしている羽村亮禅老師に久方ぶりで会った。
「おう金剛屋さんか、商売繁盛で結構じゃのう」
「これはこれは、ご老師もますますご壮健でなによりでございます。一年ましに若くなられるようで・・・」
「これこれ、お世辞はいうまい。ま、久しぶりじゃ、上って世間話しでも聞かせて行ってくれ」
 方丈の間に上がり込んだ金剛屋はいろいろな話しの末に
「ご老師、そういえば大阪淀屋橋の材木商川又友右衛門の名前をご存知でしょう」
「おう、知っているとも、なかなか信心な人で、
この寺でもなにかと寄進を願っておる。その川又さんがどうかしたか・・・」
「はい、実は四十を過ぎたのに子供が生まれないというので天満宮に祈願をこめたところ、
家産を蕩尽してもよいというなら男の子を授けようと、天神様が夢枕に立ったそうで・・・」
「ほう、奇体な話もあるものじゃな。して、子供は授かったかの」
「はい、玉のような男の子が生まれて、友吉と名づけたそうでございます。
ところが、その子が、どういうわけか右の手を握ったままで三ヵ月も経った今でも手を開かないんだそうでございます。
医者に見せたり占師を頼んだり、それはそれは心痛の様子でしたが・・・」
「不思議なこともあるものよのう。
家産を蕩尽(使い果たす人)する子というのに、
手を握りっぱなしでは、いまのところケチな子供じゃろうて・・・」と笑ってから、ふと真顔になり
「金剛屋さん。その子供の名はなんといったかな」
「友吉と名づけたそうです。川又友吉です」
「なに、川又友吉・・・」老師は一瞬、息をのんだ。
老師のただならぬ驚きに、金剛屋がびっくりしていると、老師は突然、膝を叩いて
「わかった。わかったぞ。
その子は北海道の木古内というところに住む木古内の坊こと本名川又友吉の生まれ替わりに違いない。
さては、あの友吉は世を去っていたのか、あゝ知らなんだ知らなんだ、惜しい男を・・・」と、いい、
老いの目から滝のように涙を流した。
 天の啓示でもあろうか、このとき金剛屋宇平にもピンと来るものがあった。
「ご老師、もしやその木古内の坊というお人は、六尺豊かな大男で、
丸坊主、目が少し不自由そうな四十がらみの人ではありませんか」
「そうじゃ、その通りじゃ。お前さんはどうして木古内の坊を・・・」
「実は五年前、北海道に商売に出かけました折に・・・」
 と、金剛屋は、坊に財布を拾ってもらい、お札を出しても受け取ってもらえず、
どうしてもお礼したかったらその辺の困っているものに分け与えたらよかろうといわれ、
函館の施療院へ金を寄付して来たいきさつを語った。
「世の中というものはなんと狭いものでしょう」
 と、金剛屋が感に堪えぬ風にいうので、老師は静かにいった。
「いやいや、世間は広い。
しかし、木古内の坊が、この京、大阪と結びついているのは、みなみな仏のおはからいによるもの。
目には見えぬ因縁の糸でしっかり結ばれておるのじゃ」
 金剛屋は深くうなずくばかりだった。
 近畿一円に山を持つ大阪の富商川又友右ェ門は自分の一粒種が
遠く海を距てた函館に近い木古内という寒村の、
通称木古内の坊という半分盲目の男の子の生まれ変わりと聞いて驚愕した。
彼は、さっそく嵯峨天竜寺に羽村亮禅老師を訊ね詳しく事情を聞いた。
 「老師様ようやく得心が参りました。
坊という人は老師様のしらないところでもまだまだ善根を積んでおられ た方に相違ありません。
この世に生まれてから五十年の生涯は、いかにも幸せの薄い方のように見受けられますが、
本人はいかなる富者、高位、高官よりも倖せと信じておったに相違ありませぬ。」
 老師も深くうなずいて
 「さよう。真の徳者とはあのような男をいうのであろう。
いまの世の(ひじり)といってもほめすぎではあるまい。
思えば溢れるような善意を持ちながら金銭や物質には恵まれることのなかったその生涯をみ仏が憐れんで、
そなたの家に生まれ替わらせ、存分に財宝を蕩尽させようとお計らい下さったに違いない」
「有難いことでございます。
知っての通り私は鴻池家から別れた初代の友右ェ門から数えて三代目。
先祖が遺してくれた山を守り抜いて商売をさせてもらって来ただけの人間なのです。
伜の友吉が私の後を継いだのち、山を売ろうが土地を処分しようが、それはすべて伜の才覚。
世のため、人のために役立ててくれるものならばカマドの灰まで失っても決して惜しいとは思いません」
「よくいわれた。そなたの信心深さに感じたみ仏がそなたの家を借りて聖者をお遣わしになったと考えれば、
そなたもまた日本一の果報者ではないか・・・。」


明治三十一年の六月、大阪、淀屋橋の長者といわれる川又友右ェ門は、
京都の神仏具商金剛屋宇平を伴って、海路大阪を旅立った。
 日ならずして函館港へ着いた二人は、人力車へも乗らず、函館の湾に沿うた道を辿って木古内浜に到着した。


畑中旅館へ旅装を解いた二人は、それとなく女中に木古内の坊の事を訪ねた。
 その女中は友綱と懇意で坊のことをよく理解していた。
「世間ではホイド(乞食)扱いしていたようですが、
それはそれは気持のきれいな人で、友綱に働いていたトシ姐さんをはじめ、
いろいろな人が坊に助けられたという話しです」
 さもありなんとうなずいた二人は既に夜だったが友綱の店を訪ね、夫婦から生前の坊の話を開いた。
 恩人の病気平癒を祈願した話し。恩人の息子たちの無事を祈って佐女川神社に参籠した話し。
父の死に遭って無情を感じ、死のうとしたほどの親孝行者であった話しなど。
二人は深い感動を受けた。
そして、翌日、坊の弟の留松を訪ね、その案内で願応寺にある坊の墓にお詣りした。
墓とは名ばかりで、大きな石が二つ並べられてあるだけだったが、
大きな方は父親の、そして、小さな石が坊の墓であった。
友右ェ門はびっくりするような大金を住職に差出し読経してもらったうえ、
坊こと川又友吉父子の永代供養を依頼した。
香煙が揺れる中に立ちつくす二人は、やがて肉親の死に寄せるような感情に胸を揺さぶられ、熱い涙を流した。
 やがて友右ェ門は坊の墓石の下の土を取って懐紙の中に包み込んだ。
 翌日、木古内を発足した二人は、羽村亮禅老師から聞いていた追分の長尾家を訪ね、
すすめられるままに一泊して、木古内の坊の話しに花を咲かせた。
 寄しき因縁の糸が京、大阪と北海道を結んでいることに、長尾家の若い当主子之吉は動転した。
そして「わたしも今日から敬神崇祖の生活を始めます。これもみんな、あの木古内の坊のお陰です」と
涙を流して感動するのであった。
 大阪へ帰り着いた川又友右ェ門は、
はるばる北海道の木古内村から持ち帰った木古内の坊の墓所の土を取り出し、
友吉の開かぬ右手に近づけた。
 すると、その土が手にふれた瞬間に友吉は勢いよく手を開き、
その土をしっかり握りしめたのであった。
 その日から友吉は開かなかった右手を、左手同よう自由に開くようになった。
 躍り上がった友右ェ門は、早速京都へ出かけ、羽村亮禅老師に吉報を伝えた。
「まさしく木古内の坊の生まれ替わりじゃ。
おのれの子供と思わず天が授けてくれた子として慈しまなければなるまい」
「私もさように存じます。伜のことはさておきまして実は老師様に相談致したいことがございます」
「なんじゃな」
「伜の友吉が木古内の坊という人の生まれ替わりである以上、
私はあの人の墓を立派に建立してやりたいと思うのでございますが・・・」 
老師はしばらくめい目していたが、やがて首を振った。
「その斟酌には及ぶまい。あんたの気持ちはよく判るが立派な墓を建ててもらっても喜ぶ坊ではあるまい。
晴れがましいことがなによりも嫌いだったあの男のことじゃ。むしろそッとしておいた方がいいと儂は思う」
 友右ェ門は大きくうなずいて
「老師様、よく判りましてございます。
木古内の坊の心を心として伜を立派に育て上げたいと存じます」
「墓を建てる費用があったら、それ、伜に負けずにあんたが世のため人のため役立てるのが本当ではないのかな」
「全くその通りでございました。それでは私から家産蕩尽の手本を示すことに致しましょう。アハハハハ・・・」
川又友右衛門は晴れ晴れとした表情で天竜寺を辞去したのであった。


木古内の坊の物語は以上で終わる。
地元の木古内には資料らしい資料もなかったが、
とにかく木古内の坊という親孝行な男がいて、
この世で積んだ善根が実り、大阪の鴻池家に生まれ替わったという伝えだけは
いまも固く信じられている。
 木古内の坊の孝行を、いまに伝えるため木古内には「孝行餅」も生まれている。
木古内町の人たちは、坊のことをもっと誇っていいと思う。


  ◆著者  中村純三『木古内の坊物語』
◆発行  木古内の坊の会(代表 大森 忍)
           北海道上磯郡木古内町字木古内214-12
           第四版
◆発行日  平成13年6月10日


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